地には平和を・2

作者     未詳            
訳   笛地静恵                            
 
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 コミュニケーションの試みは、地球全土と、七十を越える宇宙ステーションか
ら、必死に続けられていました。しかし、宇宙ステーションは、宇宙船が衛生軌
道に侵入してくるにつれて、次々と拭い去られるようにして、宇宙空間から消え
ていきました。衝突によってすべてが、破壊されたようでした。あらゆるコンタ
クトは、失敗に終わりました。宇宙船は、完全な沈黙を続けたのです。
 
                 *
 
 人類は、それを敵と判断せざるをえませんでした。誰もが、宇宙船を不安そう
に見上げました。しかし、当然、世界中に送り込まれるだろうと予想された、侵
略者の空飛ぶ円盤の大群は、一機も姿を現わしませんでした。代わりにピンクの
宇宙船の側壁が、外側に大きく開きました。そして、一人の人間のような巨大な
姿が、踊るように滑らかな動きで出てきました。しかし、何という姿だったので
しょうか。
 
                 *
 
 怪物的な姿は、ピンク色のレオタードを着た、スタイルの良い女性のように見
えたのです。どのような科学力なのでしょう。宇宙人の女性は、真空の宇宙空間
に、白い素肌を露にさらしていました。幸い、海洋から遠くの高地の山岳地帯に
住んでいたために、生き残ったわずかな人々は、超自然的な存在に対する畏敬の
念を抱きつつ、事態を注視していました。
 
                 *
 
 全天をスクリーンとする、巨大な女性を主人公とした、SF映画を見ているよ
うな感じでした。しかも、超スロー・モーション撮影のです。その光景は、地球
の半分からならば、どこからでも、簡単に見ることが出来ました。
 
                 *
 
 地球人類は、畏怖の思いで、巨大な宇宙人の女性が、宇宙船の外壁で作業して
いるのを、見守っていました。最初のものよりは、小さなハッチを開けていまし
た。ホースのようなものを取り出していました。それから、ゆっくりと地球の方
に顔を向けたのです。巨大ですが、美しい少女であることがわかりました。ヘル
メット越しでも、顔は、はっきりと見えました。
 
                 *
 
 身長は、五百マイルはあるでしょう。それから、三つ目のいちばん小さい側壁
が、開かれました。巨大美少女は、長いチューブのようなものを、もう一本取り
出しているようでした。地球の方に、その身体を押し出すような動作をしました

 
                 *
 
 地球上の軍隊は、宇宙人が巨大宇宙船を離れる瞬間を待って、すべての兵器の
狙いを定めていたのです。原爆と水爆のミサイルが、世界中のすべての秘密基地
と、ミサイル発射場から、彼女の巨大な姿目掛けて、発射されました。誘導シス
テムは、完璧に作動していました。
 
                 *
 
 ほとんどの人間が、期待に胸を膨らませて、その頼もしくも力強い核爆発の火
が、女巨人を焼き付くし、宇宙の果てに葬り去るのを期待していました。しかし
、期待と希望は、すぐに絶望に変化しました。巨人女は、ほとんど全く、攻撃さ
れていることにすら、気が付いていないように見えました。いや、むしろ嬉しそ
うな表情さえ見せていたのです。全人類の史上最大限の攻撃が、彼女に集中され
たのにもかかわらずです。
 
                 *
 
 
 唯一の変化は、彼女が、片手を顔を庇うように、持ち上げたことです。軍隊は
、敵が防衛行動に移行した、と判断しました。しかし、それも一般市民には、巨
大な手の甲に水爆が爆発する光を、彼女が珍しそうに観賞しているようにしか見
えませんでした。
 
                 *
 
 彼女は、ゆっくりと宇宙空間を遊泳してきました。小人たちに君臨する、巨人
の女王としての威厳を持って。ピンク色のブーツを履いた、長い素足の方から降
下してきました。
 
                 *
 
 全世界のすべての防衛指揮官は、彼らの所有する全核ミサイルを、同一の瞬間
に、同一の場所に命中させるように、司令を受けていました。軍は、彼女の全身
が、厚さ半マイル程の、透明な防壁で包まれている事に、気が付いていました。
しかし、大気圏突入を阻止する計画は、間に合いませんでした。彼女のピンク色
のブーツが、地球と接触する直前に、人類に残存したすべての核ミサイルが、直
接に彼女の顔を覆うプレート上で、炸裂したのでした。
 
                 *
 
 
 世界中の原水爆のすべてが、彼女の顔面で爆発していました。しかし、サンデ
ィーは、ひとつも傷つくことは、ありませんでした。熱も衝撃も放射能も、新型
のヘルメットとスペース・スーツが吸収して、無害な熱エネルギーに変換して貯
蔵してくれています。彼女は、そんな作業にも、気が付いていませんでした。
 
                 *
 
 ただほほ笑みながら、しばらくフェース・プレート上で繰り広げられている、
多数のチカチカとする、美しい光の共演のショーに、呆然と見惚れていました。
 
                 *
 
 彼女は両足の裏を、惑星の表面の柔らかいねちゃっとする土の層から、引き剥
がすようにしていました。ブーツは、まるで素足で歩いているように足裏の地面
の感触を、彼女の足の裏に、直接伝達してくれるようになっていました。小惑星
のように、足場がどんなものか分からない場所では、便利な機能でした。
 
                 *
 
 サンディーは後を振り向くと、何事もなかったように、二本のホースを手元に
手繰り寄せていました。サンディーは、とても優しい心を持った少女でした。分
かっていて、どんな小さな生きものでも無慈悲に傷つけたことは、生まれてから
一度もありません。しかし、今回は不幸なことでした。彼女は、自分の真下の、
ほんのりと緑色をした土としかみえない場所に、顕微鏡的な知的生命体が、多数
存在していることなど、全く考えもしなかったのです。いつものサンディーなら
ば、そこに苔か黴のような、原始的な生命が存在する可能性ぐらいは、考えたに
違いありません。しかし、今日は、シャワーを浴びたいという欲求で、心の中が
一杯だったのです。その時すでに、彼女の足の下で、テキサス州も壊滅状態とな
っていました。
 
                 *
 
 
 顕微鏡的な惑星の住民にとっては、彼女の足跡は、八十マイルの長さのある大
峡谷でした。それは、地球の海洋の最も深い海淵よりも、なお深かったのです。
ピンク色のレオタード姿の彼女の、大きくて重々しいゆったりとした一歩ごとに
、大地は揺れ動きました。ピンク色のブーツのもたらす、壮大にして異常なタイ
タニック・インパクトは、そのつど全方位にわたって、甚大な被害を与えていき
ました。
 
                 *
 
 大地は震え、建物は崩壊しました。オースチンから、ウィチタフォールズまで
の都市と人々は、ダラスとフォートワースとワコと同じように、泥と交ざり合っ
た薄い層となって、地殻の内部にまで、沈下していました。彼等は、静かにゆっ
くりと、押し潰されていったのではありません。苦痛はなかったでしょう。死は
、誰もが気が付かないほどに、迅速に訪れました。
 
                 *
 
 その周辺で生き残った人間たちは、神に祈りを捧げていました。あるいは呪い
の言葉を播き散らしていました。どちらにしても数千人を単位として、死んでい
ったのです。
 
                 *
 
 最初の接触に生き残ったとしても、地球の住民の運命は、どっちみち大差なか
ったのです。 
 
                 *
 
 ハイウェイに自動車の列をなして難を逃れていた人々は、ピンク色の山脈のよ
うなブーツが急速に上昇し暗い雲の向こうの上層の大気に消えていくのを、じっ
と見守っていました。始めは、彼等は、これで女巨人が去ってしまった、と考え
ました。
 
                 *
 
 それから、恐怖のために絶叫しました。空がさらに暗くなったのです。巨大な
靴の底が、今度は彼等の方に降下してくるのを、目撃したからです。
 
                 *
 
 足が下降してくるのにつれて、風が吹き始めました。それはたちまちの内に、
泣き叫ぶような音を立てる、超音速のハリケーンと化していきました。
 
                 *
 
 二千平方マイルの面積を持つ、サンディーのブーツの底に、大気がゆっくりと
踏み付けられていました。その下から四方八方に、空気さえも逃げ出そうとして
、焦っているようでした。
 
                 *
 
 巨人の足が、大地に接触しました。サンディーの第二のタイタニック・インパ
クトでした。マイクロ秒の内に、人間たちの血も肉もなにもかもが、分離できな
い薄い膜となって、道路上に擦り付けられました。そして、道路も、その位置を
すぐにブーツに明け渡していきました。道路も液状化して、地面に流れこんでい
きました。

 
                 *
  
 空軍のジェット機は、彼女の足の周辺空域に発生する、乱気流と戦って勇敢に
飛行していました。彼女がもたらしている、大規模な死と破壊を、なんとか食い
止めようとしていました。絶望的な攻撃を、渾身の力で継続していたのです。
 
                 *
 
 問題は、彼女のブーツの足が、固く地殻にまで届くような根を下ろしているこ
とでした。それなのに、彼女のブーツという防御のない足首の高度は、彼等には
手の届かない、成層圏の高度に達しているということでした。
 
                 *
 
 彼等のジェット戦闘機の上昇能力は、最大でも、十万フィートまででした。こ
こまでくると、辛うじて彼女のブーツの、足の甲の上部に出られるのです。
                 *
 
 機銃、爆弾、ロケット弾が、彼女のピンク色のブーツの足に襲いかかりました
。そして、またしても完璧に無視されました。足の周囲には、透明なバリアーが
展開されているようでした。また、ゆっくりとした第3歩を、踏みだしました。
片足を持ち上げると、それはひとつの大陸の全体が、空中に浮かび上がるような
ものでした。
 
                 *
 
 飛行機は、大気のメエルストリーム(大渦巻き)に巻き込まれました。巻き上
がる気流に玩ばれながら、爆発したり炎上したりしていきました。ブーツのピン
ク色の壁に激突して、大きな火球になるものもありました。彼等の機銃とロケッ
ト弾では、傷つけることはおろか、少女に存在を気付かせることすら、ついに出
来なかったのです。
 
                 *
 
 彼女はダンスのステップを踏みながら、リラックスして、太平洋の方に歩いて
いきました。メキシコの都市と町は、テキサスと同様の運命を辿りました。つま
り、ぺしゃんこに踏みつぶされたのです。
 
                 *
 
 おそるおそるですが、サンディーは浅い水溜まりに片足を踏み入れました。滑
らないかと心配したのです。今度も足の裏の感触が、頼りになりました。
 
                 *
 
 サンディーのピンク色のブーツに、水溜まりには小波が立ちました。波は丸く
広がっていきました。 小波・・・、そう、サンディーにとってはです。人間に
とっては、十マイルの高さの大津波でした。
 
                 *
 
 数十億トンの水が、地球の表面を半周以上旅をしていきました。大波は太平洋
を咆哮しつつ、横断していきました。それは、内陸部までを洗い流していました
。地殻の床岩迄を、剥出しにしました。海岸部の都市を、空前の大破壊に、巻き
込んでいきました。
 
                 *
 
 サンディーは、彼女のホースを、大きいほうの水溜まりに差し込みました。そ
してピンク色のブーツの足で、給水口の蓋の止め金具を開けました。こういうと
きに、足の裏の感触があると、とても便利です。微妙な操作が、簡単に出来まし
た。水は、宇宙船の方に送り込まれていきました。水溜まりは、ホースのなかに
吸い込まれて、消えていきました。
 
                 *
 
 彼女は、パナマ運河の方に歩いていきました。そして、人間たちが有史以来、
長い年月の間、待ち望んでいたことを、ついに成就したのです。砂場で遊ぶ子供
のように嬉々として、土の山をブーツの爪先で蹴って崩していました。溝を掘り
ました。彼女の額に、汗の粒が、光りました。人間にとっては、百マイルの幅が
あり、二十マイルの深さがありました。
 
                 *
 
 彼女の巨大な足が、人類史上初めて、太平洋と大西洋を、真の意味で繋いだの
です。しかし、人間にとっては、この新しい運河は、もはや何の役にも立ちませ
んでした。大西洋の水は、太平洋に流れこんだと見る間に、巨大なチューブに飲
み込まれて、彼女のピンクの宇宙船に、運ばれていってしまったからです。
 
                 *
 
 哀れな、ほんの一握りの生き残りの人間たちは、彼女が二本目のホースをセッ
トして、地球の大気を吸い込んでいくのを、ただ呆然と見つめていることしかで
きませんでした。どちらにしても、海がなくなってしまっては、この惑星上で生
き残る望みは、まったくなかったのです。
 
                 *
 
 サンディーは、ホースの先を、さらに二つの水溜まりの間に作った、溝に突っ
込みました。そして最後のひとしずくまで、間違いなく吸い込む様子を、ピンク
色の巨乳の下に両腕を組んだ威厳に満ちた姿で、監督していました。
 
                 *
 
 彼女は、それが終わると、まず給水ホースから、宇宙船に持ち帰りました。濡
れたブーツに、薄い霧のような白い霜が降りていましたが、それもすぐに消えま
した。それから、彼女は、地球のまだ乾燥している土のところに、のしのしと歩
いていきました。ブーツの泥を丁寧に拭いました。これで、南シエラ山脈のほと
んどの部分が、消失しました。手の土を払いながら言いました。
 
                 *
 
「OK、小さな泥の石ころさん。お騒がせしてごめんなさいね。これで、あなた
は、また一人ぼっちよ。あなたは、まだ、水を一杯持ってそうだけど。それを集
めるのは、大変そうね。この次の機会にするわ。・・・たぶんね。もしまた必要
になったら、また来るわ」
 
                 *
 
 ピンク色のレオタード姿の美少女は、宇宙船に戻るために、ピンク色のブーツ
の両足を揃えると、ぴょんとウサギのように、地球の上で飛び跳ねました。空気
を吸入するホースに沿うようにして、宇宙船に帰りました。それから二番目のホ
ースも、きちんと元合ったところに戻しました。
 
                 *
 
 サンディーは、整理整頓が大好きな少女でした。両方のホースが、きちんとし
まわれているか、もう一度確認をしました。それから側壁のハッチを閉めました
。エアロックで、雑菌などを消毒する光線を浴びると、操縦席に戻りました。
 
                 *
 
 
 彼女は、その雄大な身体で、力一杯伸びをしました。スペース・スーツの作業
で、身体がこわばっていたのです。それから、貯蔵タンクの表示を見ました。
「悪くなかったわね。五百ガロンよりちょっと多い水と、ちょっぴりの酸素。小
さな岩の星としては上出来だわ。また、こんな小惑星が見付けられると、いいん
だけどなあ。この偵察宇宙船は、こう言う仕事に向いているのよね。ちっぽけな
岩の塊から、なにか物を補充するのに、便利なように作られているんだわ」
 この小さな経験が、サンディーに自信を与えていました。生物調査の失敗続き
で、ホームシックになっていたのです。もうすこし宇宙探険を続けてみようかな
と、決意していました。
 
                 *
 
 サンディーは、再び可愛いピンクの宇宙船の、超光速ドライブを駆動させまし
た。ちっぽけな岩を、もう一度だけ名残惜しそうに見つめました。それは、もう
青くは見えませんでした。なくとなく茶色にくすんでいました。
 
                 *
 
 経験を積んだ、大人の宇宙飛行士のように真面目な顔になっていました。『惑
星記録ファイル』に、正確に書き込みをしました。
 『この太陽系には、いかなる生命形態も存在しない』
 
                 *
 
 居住区画にいきました。そこも女の子らしい、ピンクで統一された可愛い部屋
でした。スペース・スーツとピンク色のブーツを脱ぎ捨てました。スーツは、温
度調節装置が作動しているといっても、二時間の労働で、内部にすっかり汗をか
いていました。
 
                 *
 
 全身を見下ろしていました。汗でぐっしょりと湿ったレオタードは、彼女の筋
肉の形のところどころまでが、汗で透けて見えるようになっていました。今、初
めて気が付いたことです。恥ずかしさに顔が赤くなりました。まあ、少しぐらい
大胆でも、宇宙では、だれも見ていないからかまいません。
 
                 *
 
 彼女は、腋の下から自分の汗の匂いを、ぷんと嗅いだような気がしました。脇
の下に、鼻先を持っていきました。可愛い鼻の頭に、小さな皺を寄せていました
。シャワーを浴びて、久しぶりにシャンプーもするつもりでした。ピンク色のレ
オタード一枚を、洗濯機に放りこみました。浄水機が、不純物を濾過するのを、
まちきれないぐらいです。髪をほどくと、長い美しい黒髪が、腰の辺りまで垂れ
ました。生まれたままの姿になった美少女は、長い髪を後に靡かせながら、大股
に素早く、シャワー・ルームに駆け込んでいきました。
 
                 *
 
 
 サンディーのピンクの宇宙船が、星の海に去りました。地球には、過去数百万
の世紀にわたって始めての、本当に静かで安らかな、一人ぼっちの平和が、戻っ
てきたのでした。
 
 
 
 地には平和を 終わり
 


【訳者後記】原作『Peace on Earth』は、『サンディーのタイタニック・インパ
クト』という派手な題名で紹介して来ました。今回、『地には平和を』という原
題に近いものに戻しました。これを避けたのは小松左京氏に、あまりにも有名な
同題の短篇があったためです。初めて紹介したのは、日本で映画版『エヴァンゲ
リオン』が公開される直前だったでしょうか。ずいぶん時代が変化してしまった
ような気がします。笛地が翻訳したものでは、最大のギガ・サイズの主人公が活
躍する作品でしょう。活字がつぶれているような粗悪なコピーからの翻訳でした。

笛地静恵。


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