(注)作品は暴力的な描写が含まれています。そのような描写を好まない方は読まないでください。

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リチャードマシスンの「魔女の戦争」という短編があります。
13才から15才までの7人の女の子が、超能力で、敵の兵団と戦う話です。
とても若々しい少女たちにとっては、戦いは遊び。戦う相手も分からずに逃げ惑い、そして、ぼろぼろになって全滅する兵隊たち。その対比が細かく描写されていています。

話が少し変わってしまいますが、私が中学の1,2年の時に、女性 ― 少女の見方が変わってしまう出来事がありました。
当時、近所に小学5,6年の女の子がいました。日曜日には家族で教会にいくクリスチャンの家庭で育ち、立ち振る舞いにも育ちの良さが出ている、澄んだ大きな瞳に長いサラサラの髪、ちょっと洋風な洒落た名前、表現が難しいですが、優しさが滲み出ているような美少女って感じでした。
また、彼女は、子供ながら、その雰囲気は神聖にして冒し難きって感じで、正に聖少女。そう、当時の私は思っていました。
彼女の家は、私の友達の家の隣にあったので、友達の家の庭から、時々、その家の庭で弟と遊んでいる彼女の姿を見かけることがありました。(無理に覗きこんだことはありません。見かけてしまうだけです)
夏休みのある日のことでした。友達の家の庭から、彼女の姿が窺えました。
その時の彼女、しゃがんで石を持って何やら地面を叩いている様子でした。“何をしているのかな”と思って彼女の行動を見ると、彼女は、大き目の蟻を見つけては、石で潰す行為を繰り返していました。
― 彼女が無邪気な天使の顔のままで、小さな生き物を殺す遊びをしている ―
これはショックでした。今でもその時の光景が頭に浮かんできます。

可憐な少女の持つ残虐性。それはあると思っています。
「魔女の戦争」は、その、少女の残虐性を、追い詰められ、惨殺されていく兵隊たちが陥る恐怖と、彼女たちの無邪気さと際立たせることで表現しています。
ただ、残念なことに、リチャードマシスンは、彼女たちに巨大化の能力を与えてくれませんでした。
(男を縮めたんだから、代わりに少女を巨大化することぐらいは朝飯前だと思うのですが・・)

私は、この物語を読むたびに考えてしまいます。もし、彼女たちが雲を突くような巨人になって敵兵の前に現れてしまったら・・・・・と。


    * * * * *


少女たちの戦争

                     作 だんごろう


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闇夜。おまけに雷雨。空から雷鳴が轟いてくる。
激しい雨は木々をしならせ、大地を洗い、地表にあばたをつくる。
黒い雲の中で、光が、一旦、四肢を伸ばした竜の模様を描いた後、闇を切り裂き、地表を襲う。
それが、雨に叩かれている二階建ての建物を、闇から浮かび上がらせる。

その建物の二階、心地よい暖かい部屋の中では、5人の可愛らしい女の子たちが、丸いテーブルを取り囲んで、ぺちゃくちゃとおしゃべりをしている。
女の子がいる部屋にしては、白一色で、どことなく殺風景な作り。唯一、飾りらしい物は、“P・Gセンター”と書かれている、壁にはめ込まれている板だけ。

雷が近くに落ち、その轟く音で、彼女たちのおしゃべりが一瞬止まった。
だが、若さがはちきれんばかりの彼女たち、雷の音で気持ちが萎むことはない。
一人の女の子が小さく咳払いをして話し始め、それに続いて他の少女たちも我先にと言葉を出した。
「だから、あたし、あの人にこう言ってやるの ― ちょっとお偉いさん、そんなこと言ったって無駄ですからねって。そうかね、なんてほざいたら、あたりまえよって言ってやるわ」
「まったくこんな仕事さっさと片付けちゃいたいものよね。この前のお休みのときにね、とっても良い帽子を見つけたのよ。ああ、何としたってあれは手に入れてみせるわ」
「ああら、あんたもなの?わたしもそう。でも、これじゃ、髪の手入れだって満足にできやしないし。とにかくこの天気じゃだめだわ。どうしてさっさと終わらせてくれないのかしら」
「まったく男なんて! 本当にやんなっちゃう」

五人の少女。十三歳の可愛い盛りから、少し大人の雰囲気が出てきた十六歳の少女まで。

精一杯、大人引いた口調で、身振り手振りを交えながら話す女の子がいる。
そうよねぇって感じで楽しそうに相槌を打つ女の子もいる。
会話が弾んでいる。少女たちの笑い声で部屋が満ちている。

カールにお下げ、切り下げた前髪、可愛らしくとがらせた口 ― 笑ったり、声をひそめたり、女の子らしいクスクス笑いに歯をのぞかせて休みなく表情が変わっていく。
きらきら光るあどけない瞳 ― ときにキラリと光り、瞬き、細められ、冷たい色と同時に暖かく輝く瞳。
健康にはちきれんばかりの五人の娘たちは、そわそわと椅子の上で、滑らかで若々しい手足を動かしている。


薄汚れ、見る影もない姿の兵士たちは、泥に足をとられながら、真っ黒なぬかるみ道と苦闘を続けていた。
ひどい土砂降りだ。疲労困憊した男たちの上に、容赦なく冷たい雨は降り注ぐ。大きな靴がずぶずぶと音をたてながら泥に沈み、再び引き上げられる。そのたびに靴底から泥の滴がしたたり落ちる。
千人近くの兵士が ― ずぶ濡れの、見るも哀れな疲れ切った姿で ― 足取り重く進んでいく。
老人のように腰を曲げて歩いている若者。だらしなく顎を落とし、口は空気を求めてあえぐ。舌はだらいと垂れ下がり、落ち窪んだ眼はうつろで、何の表情も浮かんではいない。

「休止!」

兵士らは背嚢を背に、どしんと泥の中に倒れこんだ。頭をのけぞらせ、口をぽかんと開ける。黄色い歯の上に雨がしぶきをあげている。ぴくりともしない手は骨と肉のごつごつした塊。動きを止めた足はまるで蝕まれたカーキ色の丸太を思わせる。千人分の役立たずの四肢が、同じく千人分の木偶の胴体にくっついている。

兵士たちの前後左右で、トラック、戦車、小型自動車ががたがた音を立てている。太いタイヤが泥をはね散らす。ぬかるみに車輪をとられながらも汚泥の中をひたすらかきわけていく。雨は容赦なくその金属とキャンバスを叩きつける。

閃光 ― 一瞬のきらめきが、束の間、戦争の顔というものを垣間見せる。錆だらけの銃。回り続けるタイヤ。そしてうつろな擬視。
吹き降ろす雨は草原や道路をかすめ、木々もトラックもぐっしょりと濡らしていく。泡立つ雨水は、地面を押し広げながら流れていく。

暗闇、雷鳴、そして稲妻。

呼び子が鳴り渡る。生ける死人たちは再びよみがえる。靴を泥の中にめりこませ、ますます深く、重苦しく、歩幅をせばめながら歩き始める。


P・Gセンターの通信室。
イヤホンをはめて、コントロールボードにかがみ込んでいる通信兵がいる。その後ろで、椅子に座ったそろそろ初老を迎える将校が、厳しい顔で、じっと、その通信兵を見守っている。
将校の頭の中に敵兵の姿が浮かぶ ― 凍え、濡れぼそり、闇に怯え、黙々と歩き続ける ― その敵兵たちがこちらに向かってきている。

将校は自問する ―何のために?― 答えは分かりきっている。彼らは戦うために闇を衝いて来ているのだ。そして、もうすぐ、“彼らの戦い” が始まる。

将校は、自分が戦争で経験した場面を思い出す。渦巻く煙、唸るエンジン、闇に消える弾丸、怒号、絶叫。
そして、その思いに耽っていた彼は、右の太ももに手をあて顔を顰める。そこにある銃創が痛み出していた。過去の戦いを思い出すと、必ず、戦闘で怪我をした瞬間を思い出し、そこがじんわりと痛んだ。
だが、 ―戦争は男たちの戦いー そう思っている彼には、その傷は勲章と同じだった。その痛みがあることで、華やかに戦った過去があることを実感できるのだった。

その彼の頭の中に、隣室にいる少女たちの可愛らしい顔が浮かんでくる。そして、記憶の中の戦闘の場面に、彼女らの楽しそうな笑い声が重なってくる。
それが、将校を忌々しい気分にさせる。
彼女らは国の宝。我が国の守り神。そう思いながらも、正々堂々とした男たちの戦いを求めて燻り続ける彼の心には、彼女たちの存在が疎ましくも感じられた。
厳しい顔のままの将校は通信兵をみやりながら、その自分のやり切れない思いを、華やかだった過去の戦闘シーンと共に、心の底に沈め込ませていった。

「閣下」
通信兵の声で、将校は我に返る。
通信兵は言葉を続ける。
「前哨屯所からの連絡です。敵軍が姿をあらわしたそうです」
将校は立ち上がり、通信兵から連絡文を受け取り、無表情な顔でそれを読み、言葉を喉の奥から搾り出した。「分かった」
将校はそのまま軽く右足を引きずりながら、隣室へと続くドアに向かい、ノブに手をかけてため息を吐く。それから、意を決したようにドアを開け、隣室に入った。

五人の少女たちのおしゃべりがぴたりとやむ。部屋は突然の沈黙の中に置かれる。
将校は、窓に背を向けて立った。
「敵だ。人数は約千。ここから二マイル先、我々の真正面にきている」
彼は振り返って窓を指差した。「この二マイル先の地点だ。何か質問は?」
一人の少女がクスクス笑った。
「乗り物はあるの?」と、別の少女が尋ねる。
「トラックが五台、小型の司令車が五台、それに戦車が三台だ」
「どうってことないじゃない」と、質問をした少女はほっそりとした指をせわしげに髪に走らせて笑った。

「以上だ」将校はそう言い捨てて部屋から出る途中で言い足した。「すぐに取り掛かってくれ」
そしてさらに、彼女らに聞こえない様に小さな声で、苦々しく「魔女さんたち」とつぶやきながら部屋を出ていった。

「あ〜あ」一人がため息をつく。
「さあて、お呼びがかかっちゃったわね」
「いい加減うんざりよね」と別の少女。可愛らしい口を開け、チューインガムをつまみ出した。それを椅子の下にはりつける。
真新しい靴の靴紐を結びなおす少女。「こんな天気になるなんて最悪。この靴、新しいのよ」
「とにかく雨がやんだのは救いよね」と、また別の少女。

五人の少女たちは互いに顔を見合わせ、さあ、用意をしなくちゃねと、目で話しかける。
テーブルに置かれたガムはバッグの中にしまいこまれ、五つの唇が取り澄ましたようにぎゅっと結ばれる。可愛らしい少女たちは、ゲームに向けて、心の準備を始める。
女の子たちはおしゃべりをやめた。一人が大きなため息をつく。するともう一人が真似る。
五人はミルク色の肌を緊張させる。一人が大急ぎで頭をかき、もう一人は可愛らしくくしゃみをした。

一番年上の少女が、椅子から立ち上がりながら全員に話しかける。
「ねぇ、雨でぬかるんでいるでしょ。早く済ませたいから、100倍でいこうと思うの」
残りの少女たちも立ち上がり、その言葉に頷く。
そして、それぞれ隣の女の子にしなやかな指先を伸ばす。テーブルを囲む少女たちの指先がからみ、全員の輪ができる。

五対の瞳が一斉に閉じられる。五つの心は同じ情景を思い描き、同じ場所をイメージする。
唇はうすく開き、顔は血の気を失い、身体は激しく震えだす。鼻の上に小さく皮膚を寄せて、さらに精神を集中させる。
そして、五人の可愛らしい少女は、部屋の中からふっと姿を消した。


兵士たち。
雨は止み、黒い雲が月と星を隠す暗闇の中を重苦しく足を運んでいる。ほんの少しの光さえも濡れた土が吸い取ってしまい、目の前を歩く仲間の姿さえ分からない。
辺りは、空から黒いペンキを撒かれたかのように黒一色に閉ざされている。

丘に差し掛かる。緩やかな傾斜を登っていく。足元の泥濘は多少ましになり、歩く重い靴は所々で大きめの岩にガツンとのる。
敵地に近づいている。不安が募ってくる。重い口をさらに閉ざし、いつ始まるかも知れない戦闘に怯え、歩幅を益々狭めて歩いていく。

兵士たち全員が低く広い丘の隆起に乗った時だった。突然、ズシンとした衝撃に襲われ、大地が上下に、 そこに立つ者を跳ね飛ばすように揺れた。同時に身体を震わせる音が轟き、さらに、渦を巻いた空気が兵士たちの間を突風となって吹き抜けていった。
激しい揺れと風で足が宙に浮く。あわてて四つん這いになろうとする者、そのまま背嚢の重さにしりもちをつく者。
兵士たちは、経験をしたこともないその衝撃に泥濘の中に倒れ込んでいった。

五人の少女たちは、手を繋いだまま、閉じていた目を開く。
もう、明るい部屋の中にはいなかった。辺りには、夜の暗闇が広がっていた。
彼女たちの澄んだ大きな瞳、その瞳孔が暗闇に合わせて広がる。二、三回、瞬きをすると、黒一色だった辺りの様子がわかってくる。
すぐさま、彼女たちの頭の中に、雨上がりの泥濘に立っていることが思い起こされる。慌てて自分たちの足元を見下ろす。でも、靴底はほんの少しだけ泥を踏みつけているだけで、ズブズブとその中に潜り込んではいなかった。
彼女たちは少しホッとし、自分たちの靴の前、彼女たちが取り囲む場所に視線を移していく。

ゆるやかな丘 ― 彼女たちの真ん中に数インチの高さで盛り上がる地面。
沢山の敵兵 ― そこにいる、泥の中で蠢く蛆虫たち。
十数台の戦闘車両 ― 小さな光を出している、クシャッと踏み潰せそうなマッチボックス。

敵の軍隊がいる丘を、
― 100倍の聳える巨人になった  五百フィート以上の身長の少女たちが取り囲んでいる。

少女たちのゲームの準備はできた。そして、ゲーム開始の合図は、年長のブロンドの少女の役目。四対の澄んだ瞳が彼女に注がれる。
ブロンドの少女、その視線を感じ、くすぐったい気持ちになってくる。クスクスと笑いだし、「始めるわよ」と声を出し、隣の少女と絡ませている指をそっと振り解いて片足をあげる。
少女たちは彼女を見守る。膝上のお洒落なスカートから伸びる彼女の脚が、地面にうごめく兵士たちの上に伸びる。彼女の赤い靴の底から泥がポタポタ垂れて、数名の兵士がその泥に埋もれる。

足を上げている少女、笑いをかみ殺したような表情で、その隊列の先頭にいる一隊を踏みつけた。
その瞬間、少女たちから歓声があがる。彼女たちの戦い ― ゲームが始まったのだ。
だが、千名の兵士と、十数台の車両は、彼女たちに取っては少なすぎる。本気になったら、あまりにもあっけなく終わってしまう。だから、その敵を分かち合って、全員で楽しみながら少しずつ殲滅していく、それが、ゲームを進める彼女たちの暗黙の了解だった。

兵士たちはうろたえていた。突然の揺れは収まっていたが、まだ呆然としたまま動けないでいた。
遥かな上空から、雷とは違う響きが聞こえた。 ― 人の声のようであり、人の声ではありえない音量 ― それが何だか分からず、兵士たちは不安に陥っていく。
また、突然の衝撃。先頭にいた集団は悲鳴を上げる間もなく、巨大な物体が地面に衝突した音の中に消えた。さらに、その衝撃は部隊全体に瞬時に広がり、ライフルは泥の中に落ち、立ち上がりかけていた兵士は泥の中に戻された。

彼女たちのゲームは始まっている。
部隊の周囲、あちこちから同じ衝撃が伝わってくる。
トラックのライトが、そこでうろたえる兵士たちを黒闇から浮き上がらせていた。
だが、次の瞬間、ズンとした衝撃と共に、その真ん中に茶色の巨大な物体が出現し、兵士たちをその下に消し去った。
トラックの乗員は、揺れる車両の中で絶叫する。仲間の兵士の死の瞬間を目撃したのだ。
彼の目には、闇が広がる上空から巨大なハンマーが仲間を襲ってきたと思えた。

驚き慌てる周囲の兵士を無視するように、ライトが照らし出している巨大な物体は、泥をはね散らして上空に向かって消えていった。
トラックの乗員は、それがいた大地を呆然と見つめる。彼の目に、泥の中に潰れきったものが一瞬見えたような気がした。だが、次の瞬間、彼は、それが何だったのか分かることもなく、凄まじい衝撃の真っ只中に連れ去られた。黒闇の中から現れた物体が、トラックに衝突して弾き飛ばしたのだ。
衝撃の中、痛みに変わる直前の劈きの中で、彼の見えているものがコマ落しになっていた。
点灯しているライトが、地面に立つ兵士を映し、次に暗黒の空を映す。それが、クルクルと切り替わる。
弾かれたトラックが、隊列の上を回転しながら飛んでいたのだ。そして、兵士たちが逃げ惑う中にトラックは飛び込み、爆発炎上する。
その瞬間、空を満たすように、上空で笑い声と聞き取れる遠雷が響き渡っていた。

あり得ないことだった。
それでも、兵士たちは、今の状況を理解しようとする。
起重機による敵の攻撃 ― それが頭に浮かぶ。闇の中にその起重機の本体を探す。
だが、闇は全てを隠していた。
さらに、辺りから、次々と大地を揺るがす衝撃が続いていた。

敵との遭遇でパニックにならないように訓練されている軍隊だった。だが、兵士たちの自制心は吹き飛んでしまった。その限界を超えることが周囲で起きていたのだ。
隊列が乱れた。てんでに武器を構え、闇に向かって発砲を始める。その銃口から出る赤く光る弾道が闇に溶け込んでいった。

僚友と、戦争が終わった後の夢を語り合っていた兵士がいた。
黒闇に向かってライフルを撃ち続けている彼は、自分のすぐ近くに凄まじい衝撃を感じた。同時に少し離れた所で友から放たれていた赤い弾道が消えた。
彼は恐怖で固まったまま、うまく開かなくなった口から、友の名前を必死に叫んだ。

「散開!」将校が怒鳴った。その直後、将校が乗っている指令車が、上空からの黒い影に襲われ爆音とともに消え去った。
だが、浮き足立っていた兵士たちに、その将校の言葉は届いていた。
逃げるきっかけを探していた彼らは、その言葉通りに、暗闇の中、ばらばらになって丘の緩やかな斜面を駆け降り出した。そこに彼らを取り囲んでいる巨人たちがいることも分からずに、彼女たちの足元目掛けて突き進んでいった。


真新しい靴を履いている赤毛の少女。新しく気に入った靴が買えたので、― ほら、いい靴でしょ ― と仲間の少女たちに見せたかった。でも、それは戦闘では使うにはあまりにも高価な靴。いつも、戦闘の時はお古の靴と決めていた。だから、今日は、お古の靴を持ってきて、戦闘の時は、その靴に履き替えようとしていた。
だが、そのお古の靴を持ってくるのを忘れしまった。
新しい靴は汚したくない。今日は戦闘がないことを祈るしかなかった。可愛らしい瞳は憂鬱な思いで翳っていた。
その頭の片隅で、武器を包むための薄茶色の丈夫そうな紙の束を、以前に倉庫で見かけたことを思い出した。今日の夕方、それを倉庫で見つけ出した時は、これで何とかなるとホッとしていた。
そして今、彼女はその紙を何枚か折りたたみ、脇に挟んでいる。
目の前の少女と目が合う。赤毛の少女は、少し得意げな顔をして、逃げ惑っている兵士たちの上に、その紙を広げてかぶせた。

バサバサと巨大な鳥が舞い降りてくるような音に驚く兵士たち、直後、それが自分たちの上に圧し掛かってくる。兵士たちは這い蹲り、背中にかかる重量に瞬間的に死を意識し、目を閉じて身体を硬くする。
数秒が過ぎ、その兵士たちは死の訪れがなかったことに気付く。だが、身体の上に圧し掛かっているもので動くことは不可能になっていた。兵士たちは何も見えない暗闇の中で、自分たちの運命に怯え、心の中で、そして声を出して、神の加護を祈ることしかできなかった。

赤毛の少女、地面に広げた紙の上に靴を浮かし、―ほら、これで靴は汚れないでしょーと、得意げに小鼻を膨らませ、仲間から何か言って貰いたくて他の少女たちを見渡す。でも、彼女たちは下を見て夢中になっている。先ほど、目が合った少女も同じ。
少しがっかりとしながら、そこに靴を下ろす。薄茶色の紙の上にある靴は、やはり素敵な靴に見え、一つ年上の彼だったら、きっといい靴だねと言ってくれそうな気がしてくる。
― 次のデートでは、絶対、この靴を履いて行こう ―
彼のことを考えると、いつも楽しくなる。自然に笑みがこぼれてしまう。
次のデートで、彼、キスを迫ってくるのかしらと、クスクス笑いながら、丈夫そうな紙を踏み残しがないように端から丁寧に踏みつけていく。

そこにいる、まだ少年の面影が残る若い兵士。
何も見えない黒闇の中に置かれ、さらに上から押さえ込まれて動くこともできない。
戦闘経験の浅い彼には、この戦いの異常性も分からず、怯え、蹲り、震える両手でライフルを抱えていた。
“ズン”と地面に衝撃が奔り、耳を劈くような悲鳴が聞こえ、さらに、彼の身体を上から覆っているものが揺れた。
― 味方の死!― その衝撃の中に、彼らが消えていったことを感じる。その恐怖に、さらに身体を丸めて怯える。
悲鳴と地面を揺らす衝撃が繰り返され、それが近づいてくる。
― 逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ・・・
怯えきっている身体を奮い立たせ、這って進もうとして、蛙のように手足をばたつかせた。だが、だめだった。上から圧し掛かっているものが、這いずることさえも許さなかったのだ。
衝撃がすぐそこでおきる。上から圧し掛かっているものが大きく揺れる。
まだ若い兵士は、故郷で待つ母親を思い浮かべ、それにすがり付く様に声を上げて泣き出してしまった。


一番年少のブルネットの少女。きれいに髪の毛をカールさせている。可愛らしい眦を持ち上げ、丘をばらばらと下っている兵士を見つめている。
彼女は、今日で戦闘に参加するのは3回目。どうしても気後れしてしまい、年嵩の少女たちの後ろで、落穂拾いのように、彼女たちから逃げおおせた兵士を待ち受けている。でも、そんなラッキーな兵士はいなかった。

一台の戦車が、周りに数名の兵士を配し、彼女に向かってまっすぐに進んでくる。
それを見た瞬間、わたしの!って気持ちがした。でも、横から背の高い少女の足がそこに向かって伸びるのが見え、思わず小さな声で「あっ!だめ!わたしの!」と言ってしまった。
背の高い少女はその声に気づき、振り向いて優しげにニッコリと笑って「そうね。あなたのものね」と足を引っ込めてくれた。

やっと敵兵を相手にでき、嬉しさがこみ上げてくる。落ち着いて、戦車とその周りの兵士を見下ろす。小さなマッチ箱みたいな戦車と、周りの蟻のような兵士たち。兵士を数えると、8名。
これは自分だけの獲物。そう思い、見つめる女の子の頭の中に、その可憐な顔とは不釣合いな凶暴な思いが溢れてくる。
― そうよ。わたしだって、すごくこわいんだからね ―
彼女の頬が赤く火照ってくる。

まず、順番を決める。初めに兵隊さんで、最後に戦車。戦車をやっつけるのは初めてなので、最後のお楽しみに決めたのだ。
戦車とその周りにいる兵士たちに向けて、茶色の靴を近づけ、彼らの動きに合わせて、そのすぐ上に靴を浮かす。
思わず笑い出しそうになる。戦車とその周りにいる兵士たちは、自分たちの危機を気付いていなかった。彼らの小さな目では暗闇の中、すぐ上に浮かんでいるものさえ、見ることができないのだ。
その笑いを抑え、少し遅れて一番後ろを走っている兵士を、悲鳴を上げる間を与えないように、そして、衝撃で前を走る兵士に気付かれないように、そっとつま先で手早く踏みつけた。
靴の下に小さな兵士が消える。でも、その前を走っている兵士たちには、それに気付く素振も見えない。
クッククと、少女の口からかみ殺した笑いが漏れる。

今度は、足を高く上げ、それを戦車の前に勢いをつけてドンと降ろしてみる。
泥混じり土砂が辺りに飛び散り、慌てて止まろうとする戦車と、衝撃で転んだ兵士たちに掛かっていく。
足を上げると、戦車は周りの兵士たちを置き去りにし、速度を上げ逃げ出してしまった。と言っても、その速度は高が知れている。それを後回しにして、先に残った兵士たちを相手にしようと足元を見下ろす。
立ち上がり駆け出した、そこに残っている七人の兵士たち。それを軽く蹴って転ばし、さらにつま先で一箇所にかき集めて、少し強めに踏んで地面に擦り込んだら、足跡の中で土砂に紛れて消えてしまった。
これで兵隊さんはおしまい。視線をずらし ― お持ちどうさま、今度はあんたの番ね ― と、逃げ出した戦車に目をやると、まだ、三、四歩先の所でうろちょろしていた。
必死に逃げても、逃げ切れないその遅さが笑いを誘う。その遅さを確かめるようにゆっくりと追いかけて、戦車の上に靴をそっと乗せる。

戦車は、一緒に散開した歩兵を伴走させ、闇の中、サーチライトで照らした地形の上を進んでいた。
攻撃すべき相手を見つけ、何とか一矢報いる気持ちだった。
だが、突然の激しい揺れと共に、サーチライトの光の中に巨大な物体が土砂を弾き飛ばして出現した。
石交じりの土砂が、戦車の装甲にガツガツと当たる。操縦士は慌てて戦車を停止させた。
数秒で目の前の物体は上方に消え去ったが、操縦士は驚きで震えながらも、サーチライトが照らした物体の形状を頭の中で反芻していた。―外周部の丸み、一段高い所にあった結び目のような飾りー、何かに似ているような気がした。そして、思い付き、彼の顔が驚愕の表情に変わった。それは、“靴”だった。
信じられない大きさだが、確かに靴の格好をしていた。それも、彼の一番下の妹が履いている様な靴だった。

巨大な靴 ― そして、それを履く巨人の大きさが頭に浮かんだ。
操縦士はパニックになった。戦車の後部にあるエンジンを唸らせながら最大速度で戦車を走らせ始めた。
同乗する者たちは、訳が分からず、操縦士を怒鳴りつけた。だが、彼はスピードを緩めることはできなかった。ただひたすら、サーチライトに浮かぶ地形の上に戦車を走らせ続けた。
だが、その状態は長くは続かなかった。ガツンとした衝撃を受け、中にいる乗員は前方に投げ出された。

車両長は、頭をぶつけたらしく額から血を流しながら、操縦士の無茶な運転に怒りの言葉を吐き出した。だが、その罵りはすぐに中断せざるを得なかった。バキッバキッと金属が拉げていく音がし、砲塔部分が下にずれ出したのだ。
驚き、慌てる車両長には、事態を理解できなかった。
操縦士が横で、「巨人が!巨人がいるんだ!巨人に踏み潰されるんだ!」と叫び、また、アクセルを全開にした。
その言葉が車両長の耳に入る。

― 巨人!?巨人!?巨人!?― 混乱している彼の目の前で、また、バキッと砲塔部が下にずれた。理解できないことだらけだった。だが、戦車が途轍もない力で上から押さえつけられていることだけは、はっきりと分かった。
エンジンが必死に唸っていた。キャタピラが土砂を咬む音がガッガッガと室内に響いていた。
そこにいる者は、このまま戦車が動き、この場から逃げられることを願った。だが、その直後、後部のエンジン室から破裂音が聞こえ、それっきりピクリとも動かなくなった。
砲撃手と車両長は、怒鳴り声をあげて床にある非常ハッチを開けようとする。だが、上から押さえつけられている戦車は半ば土に埋まり、ハッチを開けた瞬間、そこから泥が床に浮き上がってきた。

エンジンが止まった静かさの中で、さらにバキッバキッと金属が拉げていく。戦車の中の三名の乗員は恐怖で無言になり、車内が潰れていくのを成す術もなく見つめ続けるしかなかった。そして、一段と大きな音と共に車内がグニャリと変形し、室内灯が消え、彼らは真っ暗な闇の中に取り残された。

じっくりと戦車を踏みつけている女の子。
靴の下で潰れていく戦車は、漏れ出した燃料に引火し、さらに中の弾薬に火が燃え移ったらしく、パチンと弾けた。その感触が、彼女の足裏をくすぐる。
戦車を踏み潰した靴を持ち上げる。今日の戦果に、戦車が付け加えられることの嬉しさで、あどけなさが残る顔が綻ぶ。
その時、後ろから別の少女の笑い声がするのに気付いた。その声の方に振りかってみると、二人の少女が、一回の踏み付けで何人の敵兵を踏めるかゲームをしていた。
楽しそうだった。早速仲間に入れてもらうべく、彼女たちに声をかけた。


兵士たちは走り続けていた。
すぐ後ろには、巨大な物体が大地を上から叩きつける、ズシンズシンとした衝撃が迫っていた。
さらに、それが泥と土砂を弾き飛ばし、後ろから兵士たちを襲ってくる。
息は疾うに切れ、無理に働こうとする肺は焼け付くようになっていた。
先頭を走る若い兵士は、銃口を斜め下に向けて散発的に引き金を引く。その赤い弾道が辺りの地形をぼんやりと浮かび上がらせる。泥濘に滑りそうになりながらも、重い軍靴でその地形をドタドタと踏みしめていく。
立ち止まることも、転ぶこともできない。巨大な物体に潰されたくなかったら、暗闇の中で走り続けしかなかった。既に、何人も、転び、滑り、集団から脱落している。その彼らの悲鳴が、時々後ろから聞こえていた。

一人の若い兵士、後ろから飛んできたこぶし大の岩に背中を直撃され、息ができなくなり、そのまま足が縺れて泥の中に頭から突っ込んでしまった。
慌てて息をしようとした口から、汚泥が気管に入り込む。
焼け付く肺、詰まった気管。身体が痙攣をおこす。それでも立ち上がろうとする彼の横を、仲間が駆け抜ける足音がする。
口からゴボッと泥を吐き出して、彼らに向かって、待ってくれ、助けてくれと声を出そうとする。だが、ゼイゼイとした呼吸音の中に言葉が消えてしまう。
後ろに迫るもののイメージが混乱をした頭の中に急激に広がり、助かりようもない恐怖で心が閉ざされる。口は本能的な悲鳴を上げようとする。だが、彼の気管はそれさえもできなかった。
待ってくれ、もう少しで走れるようになるからと、闇の中、後ろに迫る、その何かに向かって必死に念じていた。

少女 ― 女の子から女への脱皮の期間。
十六歳になったブロンドの少女。身長も5フィート7インチ、彼女らの中では一番大きく、胸もお尻も成長して身体のラインが柔らかい曲線を作り出すようになっていた。

お仕事を始めた当初は、敵兵を全滅させる行為で自分が英雄になった気もしたが、敵と言っても人であり、その人々を虫のように殺していることに対する罪悪感が心に湧き、居たたまれなくなったこともあった。
苦しみ悩み、教会でその懺悔をしたこともある。宣教師は、あなたのその行為で、沢山の同胞の命は救われている、それは良い行いだと言ってくれた。
― 私の行為は神様がお許しになって下さる ー
宣教師の言葉は、彼女の罪悪感を弱める効果があった。
そして、さらに、彼女自身の成長がある。子供の心は、着実に大人の女の心へと、変化をしていく。
子供らしい罪悪感が薄れ、代わりに、それを楽しむ心が芽生えてきていた。

最近では、お仕事がない日は退屈な思いがしてしまう。それに、お仕事が終わった後に、下着がグッショリするようになってもいた。だから、替えの下着を持ってきて、濡れたものを年下の少女たちに気付かれないように、トイレで替えるようにしていた。
それに、もっと恥ずかしい秘密もできてしまった。お仕事のあった晩は、ベッドの中で、身体がとても熱くなって寝付けなくなり、いけないことだと思いながらも、自分で火照った身体を慰めることを覚えてしまったのだ。

ベッドの中で空想する ― 男たちの上に君臨する、美の女神の巨大な姿 ― その姿と、お仕事中の自分が重なり、彼女自身が女神になった気持ちがしてくる。そして、その思いが、彼女の身体の中に熱いものを湧き出させるのだった。
だから、お仕事の時、足元から見上げる敵兵に、彼女のことをきれいだと思わせたかった。女神のようにきれいだと思わせたかった。
そのためにお仕事の前には必ずお化粧をするし、お小遣いはほとんど、お仕事の時に着るお洒落な服と靴に消えてしまった。
お小遣いはそう多くはない。多少は、同年代の少女よりも多いが、お仕事に対して国から支払われる多額のお金に比べてあまりにも少なかった。お小遣いの値上げを母親と交渉したこともあったが、いつもは友達同士のように仲が良い母親から、「これは、あなたが結婚をするまで取っておくの」と強く言われ、認めてもらえなかった。

彼女は、数日前の休みの日に、婦人靴専門店のショーウィンドウで、赤いハイヒールを見つけた。きっちりとした細く高いヒール部分に、大人の“女”を感じ、これでお仕事をしたらどうなのかしらと、その想像をしてしまった。
逃げ惑う敵兵のど真ん中に、ドカッとこのハイヒールで踏みつける。つま先の下になった敵兵は一気に潰れ去り、ヒールの周りに生き残った敵兵は、絶望の面持ちで、彼らの頭上に聳える赤いヒール部分を見上げる。
その刺激的なイメージにうっとりしていまい、店員が声をかけるまでショーウィンドウの前で、その靴を見つめ続けていた。
だが、その靴があまりの高額だったことと、始めて買うハイヒールに対する少女らしい迷いもあり、未練を残しながらも、それと似たようなデザインの比較的安いミドルのヒール高さの赤い靴を買っていた。

今、彼女はその赤い靴を履いて敵兵を追い立てていた、
丘の上から下ってきた、百人近くの敵兵を、一塊にして、靴のつま先で追い立て走らせていた。
転んだ者、足が遅い者は、順につま先で消し去り、彼らに恐怖を与えて死に物狂いにさせていた。
自分の赤い靴とは比べようもなく小さな敵兵を、その靴で容赦なく弄ぶ、それは魅惑的な行為だった。

追い立てる人数が20人を切ったところで、この中でどの兵隊が最後まで生き残るか、自分自身で賭けをしてみた。先頭から二番目に走る兵隊の足取りがしっかりしていたので、彼に決め、その動きを注視していた。
だが、その兵隊が転んでしまった。一瞬、足を止め、また走り出すまで待ってみようとしたが、自分が決めたルールに不正することはできない。隊列から遅れてもがいているそれをつま先で踏みつけた。

これで賭けはおしまい。自分で決めて、自分の負けってことだった。だが、靴の前で、まだ走っている敵兵が憎らしく思えてくる。
あなたたちが先に転んでくれれば良かったのに ―
残る敵兵は15,6人。その気持ちのまま、一気に踏み潰そうとして彼らの頭上に靴を翳してみる。でも、簡単に彼らを消し去る気分にはなれなかった。
― 遊んであげようかなぁ ― その遊びの中で、うろたえ、逃げ惑う兵士たちのイメージが頭の中に湧いてくる。頬が笑いで緩んでしまう。

彼らの進行方向に、その行く手を塞ぐように靴を地面に打ちつけた。
少し腰を屈めて足元にいる敵兵を見下ろすと、案の定、転んだり、しりもちをついたりして、泥の中でもがいている。その姿は、まるで汚泥の中で蠢く汚らしい蛆虫。
だが、その蛆虫たちは、直ぐに起き上がると、彼らの目の前にある靴に向かって、一斉にライフルを打ち込み始めた。その赤い弾道が、足元でチカチカする。
“いたちは追いつめられると最後っ屁を放つ”と言う諺を思い出す。でも、彼らの小さな銃では、最後っ屁ほどの威力もなく、彼らが必死に撃ち込んでいる靴にも傷がつくとも思えなかった。
だが、蛆虫たちに銃を向けられると、少しムッとしてくる。
彼らには相応のことをしてあげるつもりになって、とりあえず、彼らの標的になっている靴を持ち上げた。

兵士たちは、恐怖に震えながら、自分たちの前にある物体にライフルを撃ち込んでいた。
弾道から毀れる光が、暗闇にその物体をぼんやりと浮かび上がらせる。全長で九十フィート近くはある ― 車のボディのように艶がある ― 赤く禍々しい物体だった。

跳弾が辺りに飛ぶ。ライフルの弾が、そこに食い込んでいかないのだ。
兵士たちには、自分たちの武器の効果がないことを思い知らされた。だが、それでも、ライフルを撃ち込み続けた。
これが、先ほどまで、後ろから迫り、仲間を次々と潰していったものだと思うと、その憎しみが恐怖と共に心を占め、引き金にかかる指を離すことができなくなっていた。

突然、目の前にあった物体が、上昇し、闇の中に消えていった。
一人の兵士が呪いの言葉を吐きながら、その暗闇に向かって撃つ。赤い弾道が線を描き、そして消える。

彼女は、足を上げたまま、敵兵を見下ろす。
彼女は分かっている。彼らの小さな瞳では、この暗さの中では何も見ることはできないことを。それは、最後に方向違いにライフルを撃っただけで、彼らの攻撃が止まったことでも明らかだった。

そのまま彼らを見下ろし、どうやって遊んであげようか考える。ただ踏み潰すだけで面白くない。
その彼女の目に、彼らの上に浮かしている赤い靴が映る。それは、お仕事のために新調した靴。
― そうだ、彼らに素敵に大きな自分の姿を見せてあげよう ―
せっかく、お洒落をしてきれいになっている、その姿を彼らに見せたくなる。

ブロンドの少女は、周囲を明るくしようとした。
ただ、明るくすると、ひとつだけ問題がある。敵兵が自分たちの巨大な姿を見て、敵わないと思い、白旗を掲げて降伏をしてくる可能性が出てくるのだ。
自分たちのお仕事は、敵兵の全滅であり、降伏を認めることはありえなかった。
それは、少女たち全員が分かっていた。 ― 降伏の機会を与えないように素早く敵を追い詰めること。降伏しかけている者がいたら、瞬時に踏みつけること ― それが少女たちの使命だった。

今回は暗闇の中から戦闘が始まった。だから、楽しみながらゆっくりとやっていたが、これから明るくして、敵兵に姿を見せるとなると、そうはいかなくなる。手早く敵兵を全滅させる必要が出る。
彼女は、仲間の了解をもらうために声をかける。「ねぇ、明るくしてもいい?」
その声に、全員、彼女を向いて頷く。中には、明るくした時の敵兵の驚きを想像して、可愛らしい笑みを浮かべた女の子もいる。

少女たちの気持ちは同じだった ― 足元の蟻のような敵兵に自分の巨大な姿を見せ、そして、彼らを驚かせ、怯えさせたかった。
ブロンドの少女、仲間の女の子たちに笑いかけた後、軽く目を閉じて周囲が明るくなるイメージを浮かべる。

突然、兵士たちの周りに光が溢れ、驚きに目をパチクリさせる。
― 何で、何で急に明るくなったんだ!― その答えを求めて、お互いに顔を見合わせる。
だが、全員の顔つきには、同じ様な不安な気持ちが現れている。その答えを持っていないことは明らかだった。
銃声が離れた所から聞こえた。すぐさま、戦闘中だったことが、頭に浮かび、自分たちが逃げてきた丘を見やり、そして絶句する。
そこにはありえない風景があった。
― 丘の向こうに、可愛らしい女の子が立っている ―
慌てて、手についた泥を軍服で落として、その手で目を擦って、もう一度しっかりと見る。だが、その光景は変わらなかった。14,5歳の少女。それが丘の向こう側に、さらに、丘を囲むように、複数の同じ年頃の ― 戦場に不釣合いな可憐な少女たちがお洒落な服を着て ― 立っていた。
兵士たちの口は痴呆のように開けられる。
だが、その顔が直ぐに驚愕の表情に変わる。もうひとつの驚くべきことに気付いたのだ。
広大な丘。その向こう側に聳える、その可憐な姿。

― 大きすぎる!?あまりにも大きすぎる!? ―

丘の向こう側の少女が、笑いながら足を上げた。
丘で少女の足元は見えない。だが、その辺りから沢山の銃声が響いている。
― そこに仲間の兵士がいる ー
そして、彼女が足を降ろした瞬間、銃声が途絶え、地面に振動が伝わってくる。
それを見た兵士たちに動揺が奔る。
― 踏み潰された!?仲間が踏み潰された!?―
そこでおきたはず惨劇が、身震いとともに彼らの頭の中で想像されてしまう。

若い兵士は、丘の向こうに聳える、その大きすぎる目標に向かってライフルを打ち込み始めた。
途端に横から怒号が飛び、その射撃はやめさせられた。
若い兵士は仲間の死が悔しかった。その敵を討ちたかった。だが、経験を積んだ兵士は生き残る術を知っている。撃つべきではなかった。巨人に見つからずに退却すべき時なのだ。

兵士たちは、丘から離れる方向に移動すべく、逆側を向いた。そして、息を呑み、言葉が出なくなる ― 自分たちを散々苦しめた赤い巨大な物体が待ち構えていた ― さらに、そこにいる全員がその物体が何だったのか、正体を理解した。
もう、見つからずに逃げることは無理だった。彼らはライフルをその巨体に向けた。

ブロンドの少女、足元の兵隊たちの動きを、手を腰にあて、腰を曲げて見下ろしていた。
彼らは、彼らの上空に自分の顔があるのにも気付かず、丘の方を向き、そこにいる少女に見入っている様子だった。
― 何で?ここにもいるのよ ―
そう思うと、可笑しくて笑ってしまいそうだった。
その笑いを抑えていると、足元から銃声があがった。
― 良かった。気付いてくれて ―
堪えていた笑いが噴出してしまう。
彼らの弾がどこに当たっているのか、笑っていると分からなかった。
笑いを抑えて意識を集中する。何とか、膝あたりに風で舞った砂粒が当たっているような感触がした。
ちっぽけな銃で、生意気にも攻撃をしているのだ。
少女は思う ― 彼らは、銃でわたしを殺そうとしている、恐るべき敵 ― その考えは可笑しかった。プッと、笑いを噴出してしまい、その笑いのせいで、また、彼らの弾が当たっている場所が分からなくなった。

彼女は、その笑いを続けながら、彼らとの最後の遊びを考え始めた。
兵士たちの横に、大きめの岩があった。上端が平らで、全員をビッチリと乗せるにはちょうど良い大きさだった。
硬い岩の上で密集する兵士たち ― そこをグッと踏む ― その踏み心地って・・・どんな感じなのかしら・・・プチプチって音がするのかしら・・・。
相変わらすライフルを撃ち込んでいる兵士を見下ろしながら、その感触を想像した。
最後の遊びは決まった。この兵士たちでその感触を試してみることにした。

彼らの頭上にゆっくりと靴を持ち上げる。彼らはその靴を目掛けて、銃を撃ち込んでくる。
それを無視して、足を移動させ、靴のつま先でその岩を指して、以前から習っている彼らの国の言葉で話しかける。
「ねぇ、小さな兵隊さん、この岩に乗ってみない?」

兵士たちは、天に向かって聳える巨体に銃弾を撃ち込んでいた。
だが、いくら撃ち込んでもその巨体が倒れる素振りもなかった。それに、弾が当たった肌には傷もつかなかった。攻撃がまったく効かないのだ。
“蟻は100匹で、甲虫に勝つ”という例え話がある。だが、自分たちが相手にしているのは、それ対比以上に巨大な存在だった。
兵士たちは、逃げ出したくなる恐怖の中で、奇跡を信じて、ひたすらライフルの引き金を引き続けた。

巨人の片足が空中に浮き上がった。
兵士たちは首をすくめる。その巨大な赤い靴で踏み潰されることを意識したのだ。
死への恐怖が増幅されてくる。兵士たちの身体が震える。
それでも、頭上に浮かぶ赤い靴を標的にライフルを撃ち込み続ける。

一人の兵士、カチャカチャと、弾が出ないライフルの引き金を引き続けていた。気が動転している彼は、暫くの間、弾が切れていることに気付かなかった。それでも、訓練された兵士である。ライフルからの反動がなくなったことで弾がなくなっていることに気付き、新たな弾を込めようと、弾丸のカートリッジを入れているポケットに手を伸ばす。
だが、そこにカートリッジがなかった。他のポケットを探す。そこにもなかった。
ようやく、全ての弾を使ってしまったことに気付く。
愕然として上空を見上げる。そこには、巨大な赤い靴が、今にも、彼を踏み潰そうとしているかの様に浮かんでいた。
武器という心の支えがなくなった彼は、その恐怖に耐え切れなくなり、「ヒッー!」と叫ぶと、その巨大な靴から目を逸らしてうずくまった。

兵士全員の弾が尽き始めていた。
銃声の数が減ってきていた。
そして、最後の一発が鳴り終わった。

巨大な靴は彼らの頭上を越えて、横にある大きな岩の上に浮かんだ。
さらに上空から、巨人の言葉が響いてきた。それは、空を満たす雷の轟きにも似て、彼らには、それが自国の言葉だとは認識できなかった。
呆然とする兵士たちの傍らで、巨大な靴が岩を叩き、また上空から声が聞こえた。
兵士たちは、ようやく巨人の“言葉”が理解できた。
彼らの言葉で、そこにある岩に乗れと言っていたのだ。

兵士たちは、巨人の言うとおりにすれば助かるのか、不安の中で悩み始めた。
全員の弾は尽きていた。残りは手榴弾だけだったが、この巨人に効果があるとは思えなかった。
また巨人の靴が岩を叩き、空から言葉を降ろしてくる。巨人がイラつき、語尾が強くなっていた。
― どうすれば良いんだ、どうすれば ― 焦りだけが、冷たい汗と共に湧き出してくる。その岩に登った所で助けてもらえる保障はない。どうすることもできなかった。ただ、時間だけが過ぎていった。

ブロンドの少女、周りの少女たちの手前もある。明るくしたこの状況では、できるだけ早く敵兵を全滅させることになっていた。
― せっかくあんたたちの言葉で喋っているんだから、さっさと言うことを聞いてよ ― とイラついてくる。
岩の上に浮かせた靴を持ち上げ、彼らの横にズンと降ろしてみる。さっさとしないと踏み潰すという警告だった。
足元を見下ろすと、兵士たちがその衝撃で転がっていた。

中年に差し掛かっている兵士。その彼の身体の近くに、巨大な靴が踏み下ろされ、その衝撃で身体が横に転がる。
仲間が既に何十人と踏み潰された靴である。それが、身体の横に踏み降ろされている。怖気が震って、視線をそちらに向けることもできない。
その靴で踏み潰されることを意識する。もうすぐ死ぬんだと思い始める。
だが、その彼の頭の中に、家族の顔が浮かんでくる。優しい妻、そろそろ反抗期を迎える長女、まだまだ腕白な長男。
そして、最後に家族と別れた時の、妻と子供たちの悲しげな顔が浮かぶ。
― そうだ、俺は、家族に必ず帰ると約束をしたんだ。ここで死ぬことはできない。家族の元に帰らなければ、何としても帰らなければ ― 彼は無謀だと思いながらも、雄叫びを上げて起き上がり、最後の力を振り絞って駆け出した。

少女は足元の一人の兵士が逃げ出したことに気付いた。それはちょうど良い出来事だった。他の兵士に見せしめの材料にできる。
その彼に向かって足を伸ばし、これから、それを踏みつけることを残りの兵士に分からせるために、その上で靴を揺らす。
見せしめであり、当然、直ぐにそれを踏み潰すことはしない。一旦、つま先で、仲間の兵士の方に向かって軽く小突いて転ばし、叫び声をあげさせる。彼女には、もちろん、そんな小さな声は聞こえない。だが、周りの兵隊たちには十分聞こえるはず。
その小さなものは健気にも直ぐに起き上がり、逃げようとする。それを、また、仲間の方に向かって、つま先で軽く蹴って転ばす。
そうやって、悲鳴を上げさせながら、だんだんと仲間の方に戻していく。

棒立ち状態で動くこともできない仲間の兵隊たち。そのすぐ近くまで、逃げた兵士を追い込めた。
だが、散々蹴ったせいか、それは起き上がることもできなくなり、泥の中でもがくだけの存在になっていた。
― ほら、お仲間さんの近くにいるのよ、もうすこしがんばってよー 少女の口元に冷たい微笑みが浮かぶ。
つま先でそっと突いてみる。それは、立ち上がろうと少しもがくだけで、また泥の中に倒れる。
さすがに立たせるのは諦めるしかなく、その小さな身体をつま先の下にして、泥の中でゆっくりと転がす。
仲間の兵士が、遠巻きにしてそれを見ている。見せしめになったみたいだった。
だいぶ弱ったかなぁと、腰を曲げて見下ろすと、泥の中から顔を上げようとして、小さな身体が最後の足掻きをしていた。
それを、心の中でバイバイと言いながら、地面に埋め込むように擦り付ける。足をあげてみると、すっかりと泥と土砂に混じって分からなくなっていた。

足元の敵兵たちを見下ろし、― どう?怖かった?わたしって、残酷なのよ ― と笑いかけ、
「さっさと岩に登らないと、あんたたち、みんなこうなっちゃうのよ」と敵国の言葉で話し、つま先を近づけて追い立てる。
目の前で仲間が踏み潰されたことで、動きは良くなった。一人が駆け出して岩に向かい、その後の残りの者が付いていった。

若い少尉は成す術がなかった。
逃げた兵士は、巨大な赤い靴に蹴られ、その度に悲鳴を上げながら、仲間の方に追いやられた。
そして、少尉から二十フィートも離れていな所で、彼は、もう、起き上がることもできなくなっていた。
そして、巨人が赤い靴のつま先で、彼を泥と土砂の中に転がし始めた。
苦しめながら踏み潰す ― それは彼が逃げたことに対する見せしめに違いなかった。
どうすることもできなかった。巨人が彼を残酷に弄ぶ傍らで、立ち続けるしかなかった。

少尉は唇をかみ締める。
昼間、彼から家族の写真を見せられていた。
― 少尉どの、どうだ、可愛い娘だろ。将来は看護婦になりたいって言っててね。ヘッヘヘ、俺と違って頭が良いんだよ。それに、このぼうず、野球をやらしたらうまいもんだせ。この前もよぉ、ホームランを打ちやがったんだ 
見るからにがさつな男だった。だが、嬉しそうに家族のことを話す姿が印象に残った。さらに、その後、そいつが下を向き小さく呟いた言葉が、少尉の胸を貫いていた。
― 会いてぇ 

少尉は見ていられなかった。目をそらし、耳を塞いだ。だが、彼の無念の叫び、家族の名前を叫ぶ声が塞いだ耳から漏れていた。
やがて、巨人の靴が退き、少尉は、変わり果てた仲間の姿 ― 泥に半ば埋まっている朽ち果てたぼろ雑巾 ― を見てしまう。
彼は思った。― 勝てない。この巨人に勝つことはできない。そして、待っているのは全員の死でしかない。
周りの兵士、当初から一緒に逃げ出し、生き残っている14,5名の兵士が、― 少尉どの、助かる道を教えてくれ ― と縋るように見ている。その兵士たちの気持ちがヒシヒシと伝わってくる。

少尉は、これ以上の戦いは無意味だと思った。残っている兵士のためにも、降伏して生き延びることが最善の手段だと思った。
既に弾薬が尽きているライフルを捨て、次に上着を脱ぎ捨て、さらに、白いシャツを脱いだ。
彼の、はち切れんばかりに若く、鍛え上げた上半身が顕になる。
そして、全員に向かって叫ぶ。「降伏する!」
そこに、巨人からの指示 ― 岩に登れ ― が、また聞こえた。
少尉は、白いシャツを手に持ち、その岩に駆け出す。
巨人に降伏の意思を伝えなければならない。そのためには、その岩の上で、白いシャツを振り回すしかないと思った。
巨人の靴が近くに舞い降りた。そして、その靴は、岩の方に全員を追い立てようとする。
兵士全員が、少尉の言葉を聞いていた。それ以外の方法はないことを全員も感じていた。
すぐさま、助かる希望を持って、武器を捨て、上着を脱ぎながら、少尉の後を追った。

少尉は岩に登る。岩の高さは15フィートぐらいある。それを、慌てながらも何とか息を切らして登りきる。
岩の上は、下からは分からなかったが、縦横20フィートぐらいある平坦な場所になっていた。
そこで、彼は巨人を見上げる。視線の先には、フリルのスカートの中に入り込んでいる太ももが覗いていた。若々しいムチッとした太ももだった。一瞬、そのエロチックな光景に目を奪われたが、その視線を引き剥がし、さらに顔を上げる。
ほぼ、真っ直ぐに真上を見上げた先に、淡いピンク色のブラウスの胸の膨らみがあり、その向こう側に巨人の顔が見えた。

上空の風が、少しカールしているブロンドの髪を靡かせていた。
大きな瞳が神秘的な湖の色で輝いていた。
整った鼻筋。ピンク色の唇が、きれいな歯を覗かせ、天使のように微笑んでいた。

大人になる直前の少女の顔だった。そして、とてもきれいな顔だった。
若さと華やかさでキラキラと輝いていた。
後、2,3年経てば、とんでもない美女になることを予感させる顔つきだった。
それまで、少尉は、巨人の顔を直視していなかった。女性の巨人だと思っていたが、こんなにきれいな少女とは知らなかった。
少尉は、巨大な彼女に魅了されながら、白いシャツを大きく振って、降伏の意思を伝えようとした。

兵士たちが、次々と岩に登ってくる。
そして、少尉の後ろで、同じように白いシャツを振り始めた。

少尉は降伏した後のことを考え始めた。
― いつかは戦争が終わる。それは数年先かも知れない。
― その時、目の前の巨人は普通の少女に戻る。いや、数年先ならば、素敵な女性になっているはずだ。
― その彼女を、必ず探し出してみせる。そして、彼女と恋に落ちてみせる。彼女とキスをしてみせる。そして、“君に踏み潰されそうになった時は大変だったよ”と、笑って話せる仲になってみせる。
そうすることで、死んでいった仲間が報われる。少尉はそう思いながら、彼女を見上げ続けた。

ブロンドの少女、― いいこねぇ、そうそう、そうやって言うことを聞いてね ― と微笑みながら、― 少しは、あんたたちを踏む感触を味わわせてね ― と、岩に登った兵士たちを、楽しそうに見下ろしていた。

その彼女の顔がくもった。
彼らは、武器を捨て、白いシャツを振り回していた。彼らは降伏の意思表示をしていた。

少女たちの戦いでは、降伏は認められなかった。
彼女たちの存在は敵側には極秘だった。知らずに敵に攻めさせて、それを全滅させるのが、彼女たちの戦いだった。捕虜を取れば、それが脱走することもありえる。極秘にするためには、その可能性をも啄ばむ必要があった。だから、彼女たちは、例え降伏をしたとしても、彼らを消し去るしかなかったのだ。

少女は腰を屈めて、敵兵をじっくりと眺める。
踏み心地を確かめたくて、処刑台と決めた岩に登らせた彼ら。その彼らが、助かりたい一心で、白いシャツを振りまわしていた。
彼らの運命は決まっている。捕虜にすることはできない。でも、彼らはそれを分かっていない。
いつもなら、そんな彼らに同情してしまうのだが、今日は違っていた、むしろ彼らを蔑む感情が高まってしまっていた。

彼女の口元に笑顔が浮かび始める。
― 助かりたいの?わたしがあなたたちを助けると思っているの? ―
その想いが、笑いとなって溢れる。

白いシャツを振り回す兵士たちは、自分たちを見下ろしている彼女の顔を見上げた。
その顔が上空で微笑み始めた。とても愛らしい笑顔だった。兵士たちには、彼女が巨大な天使のように思えてきた。
既に何十人もの仲間が彼女に踏み潰されている。さっきも、一人が、見せしめのために無残に殺された。だが、それが、天使の様に微笑を浮かべている彼女の仕業とは思えなくなっていた。
― 天使のような彼女が俺たちをこれ以上苦しめることはないはず。俺たちは助けてもらえるんだ!―
兵士たちの顔が安堵の表情に変わってきた。

だが、次の瞬間、その顔が驚きで歪む。目の前にあった巨大な赤い靴が、泥の滴を垂らしながら、上空に登っていくのだ。
― 踏まれるのか!?降伏しているのに、何でなんだ?―
― 俺たちが降伏をしているのに気付いていないのか?―
兵士たちは声を張り上げ始めた。
「降伏する!助けてくれ!」
気付いてくれ!気付いてくれ!その思いで、兵士たちは半狂乱になって白いシャツを振り回す。

彼女は、足元の小さな岩を見下ろす。
それは、今の彼女に取っては2インチの大きさの、靴のつま先だけで簡単に踏みつけられる石でしかなかった。
その上で、敵兵たちが必死に白いシャツを振っている。
彼らの無駄な努力に笑いがうかんでしまう。

彼らの希望を打ち砕く瞬間に思いを寄せる。彼らの絶望、嘆き、悲鳴で、頭の中が満ち溢れる。その思いが熱い迸りとなって身体の中を駆け巡っていく。
心の中にある善と悪。優しさと残虐性。その葛藤が湧く。
― 心がとても痛いの、痛くて痛くて堪らないの ― だが、その痛みさえ、少女の身体の中に快感の息吹を芽生えさせてしまう。

彼らが乗っている石の上に、靴のつま先を翳す。靴の陰で、その石が見えなくなる。
沢山の命が潰れる、その一瞬に想いを寄せる。
その感触をより味わいたくなる。浮かせている足裏に意識を集中する。
そのまま、靴のつまさきで、石の平坦部分を踏みつける。小さなものがプチプチ弾ける。
男たちが潰れる、その感触が、刺激となって、足裏から頭に突き抜けていく。腰から力が抜けそうになる。
それを踏ん張って体重を乗せる。脆い石は、ガリっと砕け散る。
さらに、それをつま先で地面を擦りつけ、砕けた石を粉々にする。
足を退けると、全ては、足跡の中で土砂と泥とに混ざり合っていた。
それを見下ろす彼女は、うふっと、意識せずに“女”の溜め息をついた。

身体が火照っていた。それを感じながら、足元に生きている兵士が残っていないか見ていると、後ろで笑い声がした。
振り向くと、4人の少女がそこに立っている。
慌てて、周りを見渡すと、既に敵兵は全滅し、動く小さなものは何一つなかった。

一人の女の子が笑いながら話しかける。
「もう、おわっちゃったわよ」

彼女も、笑って答える。「そうね」
そして、全員に向かって「任務終了!」と笑顔で敬礼をする。
年下の少女たちも、笑いながら片手を挙げて、可愛らしく敬礼のポーズを取る。

全員で丘を囲む。初めてここに降り立った時と同じ位置に立つ。
女の子たちは、ちょっと自慢げに今日の戦果を話し出す。
― あたしは400人くらいかなぁ ― あたしは300人と、戦車とトラックでしょ ― あたいは500人以上やったわ ― あたしは、絶対、300人より多いわよ ―
ブロンドの少女 ― あらあら、それじゃ、1000人以上になっちゃうじゃない ― とクスクス笑いながら、足元を見下ろす。たくさんの兵士がいた丘は、自分たちの足跡で凸凹した場所に変わっていた。
彼女のつま先の前に、一台の戦車が土に半ば埋もれていた。それを無造作にぐっと踏んで、隣の子の手を握り、全員に声をかけた。
「帰りましょ」
少女たちはお喋りと笑いを止め、手をつなぎ合って目を閉じ、意識を集中し始めた。
そして、輪になっていた五人の少女は、忽然と戦場から姿を消し、辺りは、また闇の中に引き戻された。


闇の中の静寂。一陣の風も、一滴の雨も、雷鳴の轟も、機械の唸りも、人の声も、全てが途切れた深い沈黙に丘が閉ざされた。
月も星も覆い隠された黒い空。その東の地平線が紫色を帯びてくる。
薄ぼんやりとした明かりが、戦闘のあった丘を夜の闇から掬い上げる。
横転し、さらに潰され原型を留めていないトラック。頑丈だったはずの戦車は、潰れたおもちゃのように土砂に埋まっている。その残骸からは、油ら臭い煙の筋が静かに立ち登っていく。

徐々に明るさが増してくる。
丘は、その形が変わり、沢山の窪みで痘痕の様相になっていた。
さらに、光が、その一つ一つの窪みを薄れゆく闇の中から浮き上がらせる。

最後に残った夜のしじまから生まれた霧が、寄り集まり濃さを増し、ゆっくりと丘を覆っていく。
ミルク色の気体が窪みに流れ込んでいき、その中で折り重なっている、潰れきり、泥にまみれ、千切れたぼろ雑巾の様なものを優しく包み込んでいく。

終わったのだ。沢山の兵士はゲームの駒のように扱われ、そして全滅した。
明るくなる朝日が戦闘の終わり告げ、動くものがない、拉げた丘を照らし始めた。


少女たちは目を開ける。暖かい部屋の中。
一人の少女がものうげに伸びをする。両腕を大きく伸ばし、肉付きの良い肩をぐるぐるまわす。
別の少女のピンク色の唇が、可愛らしいあくびで広がる。
彼女たちは互いに顔を見合わせる。
クスクスと笑い始める少女。顔を赤らめる少女。やましげな表情を浮かべる少女。
一人がしゃべる。別の少女の笑い声が高まる。
ガムの包みをあけ、女の子たちのくったくのないおしゃべりが始まる。

暖かい部屋の中に、笑い声が広がっていく。
窓の外では、少しずつ明るくなる朝の風景がそのコントラストを強めていた。
少女たちの頭の片隅では、今日の戦闘場面がリプレイされている。
可愛そうなほど怯えていた敵兵の姿、トラックを蹴り飛ばした時の爽快さ、靴の下で戦車が潰れていく時の足裏の感触。
それが、笑いの中で思い出され、会話が弾んでいく。

ブロンドの少女、敵国の首都を思い浮かべている。
写真で見た、歴史ある建物が密集した広大な街。
想像の中の彼女は、巨大な姿でその街の傍らに立っている。
建物は可愛らしいミニチュアサイズになり、人々は蟻の大きさに縮んでいる。
彼女自身は絶対的な力を持つ征服者。街は壊されるのを待つだけのおもちゃ。
そのおもちゃを壊す ― 街の外壁を跨ぎ、沢山の建物とその間を逃げ惑う人々の上に足を下ろす。
それは、心臓がドキドキさせるほど魅力的で、頭の芯を溶かすほど蠱惑的なことだった。
彼女の空想は広がる。あのシューウィンドウにあった、赤いハイヒールが頭に浮かぶ。
もし、本当にその時がきたら、黒いストッキングにあの赤いハイヒールを履き、身体のラインがでるタイトなスカートで、素敵な大人の“女”になった自分をそこに聳えさせたくなる。

手鏡を覗き込んでいた女の子が、顔を上げて皆に話しかける。
「ねぇ、わたしたちってすごいんじゃない?」
少女たちが明るく笑う。ブロンドの少女もつられて笑う。

そして少女たちは、朝食を取るために、笑いながら一階に下りていった。



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