マチスンの主題による変奏曲第2番 前編
(四十センチメートルの頃に)
CLH 作
笛地静恵 訳
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【訳者注記】
第2番は、すでに縮小が進行しています。
スコット・ケアリーは、元のサイズの四分の一以下の身長になってしまっています。
一人で、留守番をしていたスコットは、偶然の事故から雨の降る戸外に、締め出されてしまいます。
ドアを開けられずに苦労しているところに、兄のマーティンの嫁のテレーズが、やってきます。
彼女は、冷えきった彼の全身をタオルで拭き、酒を飲ませ、サマー・キャンプで少女の頃に習った方法で、
(つまり彼を直接に素肌に抱いて)温めてくれるのでした。
そればかりか、スコットを寝室に連れていった彼女は、彼の制止も聞かずベッドで……。
小さな不倫物語です。
義理の姉の不可解な行動に対する、スコット・ケアリーのためらいが楽しい一篇です。
(笛地静恵拝)
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彼は両手に全体重をかけて、植木鉢を押そうとしていた。
側面は素焼きに茶色の上薬をかけただけのものだった。
表面がざらざらとした手触りで、いかにも安物だった。
それを左右に、ごとりごとりと回転させるようにして、少しずつ移動していたのだった。
底に付いた土が後に、茶色の扇形の跡を残している。
作業の進行の度合いを、逐一確認することができた。 成果は微々たるものだった。
一度に三センチぐらいは、場所を変えていただろうか。
この方法で、元あった場所から、少しずつでも正面玄関のポーチの左脇の定位置から、
ドアの前へと滑らせていた。 真下にきたら、この植木鉢の上によじ登ろう。
腕をのばせば、ドアのノブになんとか指先が届きそうだった。
鉢は、彼の胸元辺りまでの高さがあった。
周囲は、両手で、ようやく半周分を抱き抱えられるぐらいだった。
中身の植物はとうに枯れていた。 今では何が植わっていたのか、全くわからなかった。
土の方は、今でも八分目までいっぱいに詰まっていた。
ルイーズは彼のせいで、身辺がいろいろと忙しくなっていた。
それまでは大好きだった庭いじりが、おろそかになったのは、やむを得ないことだった。
スコットにとっては、自分の体重の五、六倍もの巨大な物体を、動かしているという実感があった。
土のなかにまで、すっかり雨がしみ込んでいる。 足元のポーチのタイルも、滑りやすくなっている。
精神を集中していないと、危険な作業だった。 体力を消耗させる重労働でもあった。
それを、もう小一時間は、続けていた。
小糠雨と空気の冷たさから、できるだけ意識をそらそうとしていた。
それが肝心な点だった。 手のひらが擦り剥けて赤くなり、ひりひりと痛んでいた。
今日は、朝からぞくぞくと、寒気がするような雨模様の日だった。
窓から見えた雨の筋は、一本一本が細く霧のようだった。
しかし、このような日に戸外に長時間いると、意外に身体が濡れているものである。
彼の衣服も中まで、雨と汗でびっしょりと濡れていた。
下着が、二番目の皮膚であるかのように、ねっとりと気味悪く貼りついていた。
もし生地が乾いていたとしても、防寒の役目は果たさなかったことだろう。
スコットは、プラスティックのサンダルを履いていた。
ナイロンのズボンに、戦隊もののキャラクターの絵が入ったTシャツを着ていた。
すべてがぶかぶかで大きすぎた。(もう長い間、彼にぴったりと合う服はなくなっていた)
骨身にまでしみ込むような寒さを感じていた。
男の印までが縮みあがっていた。 震えながらも、それを股間に感じていた。
身体が縮小されているせいで、寒気がこんなにこたえるのだろうか。
まるで『不思議の国のアリス』の物語の世界のように、不条理な事件だった。
ドアは鍵がかかっているわけではない。 単に閉まっているだけだ。
彼は新聞が来ていないかと、ちょっと外に出た。 その一瞬の隙を突かれたのだ。
風を受けたドアが、音を立てて背後で閉まった。 それから、この苦闘が続いている。
ちょっとした用事にしては、ずいぶんたいへんな結果になってしまった。
雨で遭難するかもしれないのだ。
彼の現在の情況からすると、新聞など取るに足りない些事だった。
『縮みゆく人間』スコット・ケアリー氏の記事を、自分で読んだからといって、
何がどう変化するわけでもなかったのだ。
本当は、暗い雰囲気の家の中に、せめて新鮮な外気を取り入れようとしただけだった。
ドアを大きく開いた。 一陣の突風が吹いた。
その瞬間に、背後でいやな悲鳴のようなきしむ音を立てて、ドアが閉まった。
本当に、それだけのことだった。
彼は小雨の降る戸外に、置きざりにされていた。
「WELCOME」と書かれた足拭き用のマットは、自動車のカバーぐらいの広さがあった。
それだけで、彼を落ち着かない気分にさせていた。
それほど多くの選択肢があったわけではなかった。
ルイーズはベスを連れて、今日一日は外出する予定だった。
家のドアも窓も、すべてにしっかりと鍵がかけられている。
彼の命令で、ルイーズがそうしたのだ。 ガレージのシャッターも下りたままだ。
臨家に頼み込もうかとも思った。 休日だから誰かはいるだろう。
しかし、もし子供が、ドアのチャイムに出たとする。
そこに、身長が四十センチメートル足らずの、大人の男を見付けるのだ。
それから、どうなるか……。
考えたくもなかった。
風がそこら中に雨のしぶきを、ばらばらと音を立ててばらまいていた。
視野の隅で、黒い大きな車が、通りを彼の家の方に走って来るのを眼にした。
植木鉢をそこに残したままで、一番近い庭の低木の下に駆け込んだ。
誰にもこの姿を、見られたくはなかった。
車は彼の家の敷地の道路に乗り入れていた。
ルイーズの青のホンダではなかった。 黒のBMWだった。
黒い髪の女が、中からぬうっと出てきた。 緑のブラウスに、青の短いスカートを履いている。
大股にドアに近寄ってきた。赤い口紅が、大きな唇に映えていた。
畜生。 それはテレーズだった。 兄のマーティの妻だ。 スコットにとっては義理の姉になる。
最近スコットとテレーズの間には、ほとんど付き合いというものがなかった。
仮に用事があっても、兄は一人で来るのだった。
確かに彼女は陽気でよくしゃべり、正直な人物だった。
しかし、その一方で礼儀作法をわきまえず、自己中心的だった。
時折だが、つまらないいたずらをするような、子供じみたところもある女性であった。
スコットの縮小が始まってからは、彼らの関係は以前よりも疎遠になっていた。
以前は、マーティと夫婦喧嘩したりすると、彼の家に遊びにきては、ルイーズとしばらくおしゃべりをして、
憂さを晴らしては帰っていくという習慣があった。
(彼としても疎遠の原因のすべてが、彼女にあると主張するつもりはなかった)
彼がまだ、マーティのオフィスで働いていた、最後の日々のある一日のことだ。
椅子によじ登ろうとしている彼の苦闘を見るに見兼ねて、テレーズが彼の脇の下に両手を差し入れて、
子供のように抱き上げたのだ。 スコットは烈火のように怒った。 激しく罵り叱りとばした。
以来、彼女とは口をきいたこともなかった。
それも、今よりも九十センチ以上は、背丈があったころの昔の話である。
彼の視点からすると、今の彼女は街灯の一本分と同じぐらいの背丈があった。 怪物だった。
正面玄関までは、大股で元気良く歩いて来た。 それから、困ったような顔で、小首を傾けていた。
カールした長い黒髪が、頬から首の白い付け根、そして肩までを隠していた。
ドアの不在の札を眺めていた。
ドア・マットの上に立ったままで、しばらく思案しているような様子だった。
それから、足元の植木鉢に気が付いたようだ。 彼女は肩をすくめた。
片手で軽々と持ち上げると、無造作に元あったところに、ひょいと戻した。
あばずれめ。 どれぐらい長い間、俺がそれにかかずらわって、苦労してきたと思っているんだ。
スコットは、心の中で毒づいていた。
テレーズが、あきらめたように車の方に戻ろうとして歩きだした。
通路にエンジンをアイドリングした状態で、停車していた。
この困難きわまる情況の中でも、もっとも会いたくない人物の一人だった。
しかし、身体は凍えるような状態であったし、妻子は、あと何時間もたたないと帰ってこない。
やむをえず、隠れていた場所から飛び出した。
黒いハイヒールを目指して、足早に歩いていった。
ヒールだけでも五十センチぐらいの長さがあるだろう。 それに追い付こうとして、疾走をはじめた。
あの大きな四、五メートルはある歩幅で、BMWに辿り着く前に、何としても呼び止める必要があった。
ドアを開けてくれと、頼むだけで良いのだから。
「俺の背丈では、あの女の膝の後ろまでも、手が届かないじゃないか」
近付くに連れて、そんな圧倒的な衝撃が、スコットを襲っていた。
もし彼女が振り向いた拍子に、不注意にも、足元の彼に気が付かずなかったとしたら。
間違いなく、あのハイヒールに踏み潰されるだろう……。
「テレーズ」
甲高い声を張り上げるようにして、名前を呼んだ。 かぼそい声が、聞こえるようにと念じていた。
ふいに、彼女が立ち止まった。
彼は、ストッキングに包まれた、滑らかなふくらはぎに激突してしまった。
大木にぶつかったようなものだった。 その筋肉質の弾力に、跳ね返されてしまった。
バランスを失って、濡れて泥のようになった土の上に、尻餅をついてしまった。
「まあ……、スコット……」
彼女は、頭上にそびえるように立っていた。
二階建の屋根の高さから、大きな顔が見下ろしていた。
五十センチの直径のある円盤のような膝に、両手を乗せるようにして、ゆっくりと屈み込んだ。
心配そうに質問してきた。
「あなた……なのよね……、だいじょうぶだった?」
彼女の顔には、すまなさそうな思いと、彼があまりにも小さくなってしまったことに対する驚きが、
二つながらはっきりと表わされていた。
それから、それが不意に変化すると、口元におもしろそうな表情が浮かんだ。
「あなたにも、こんな雨の中で散歩するような、風流な趣味があったのかしら」
相変わらず、自己中心的な女だった。 彼は、怒りを押さえ付けた。
「い。いや。 ちがうんだ。 テレーズ。 ど、どうして、ぼ、ぼくが」
しゃべろうとしたが、歯の根ががちがちと噛み合わされて、言葉にならなかった。
「スコット、あなた、震えているじゃないの。 はやく、なかにはいりましょ」
今は心配だけが、大きな顔に貼りついていた。
黒の豊かな巻き毛を、せわしなく指でかきあげていた。
「ちょっとだけ、待って頂戴ね」
彼がその場所で両足を踏みしめている間に、地響きをたてながら自動車に走っていった。
車のエンジンを切った。
すぐに戻ってくると、彼の前の地面にしゃがみこんだ。
「さてと。 あなたのことを、抱き上げるわよ。 今日は、いいわよね」
「……あ、ああ、いいとも」
彼はようやく、それだけの言葉を口から搾り出した。
子供にでもするように、両の脇の下に手を入れられた。
地面からめまいのするような勢いで、身体が上空に持ち上げられた。
耳がキーんと鳴った。 巨大な両腕のなかに、抱き締められていた。
さらに左の肩に、かつぎ上げられた。
それで彼の顎が、テレーズの肩甲骨のくぼみに、ちょうどはまりこむような位置になった。
痩せているわけではないのに、彼女の肩甲骨のくぼみは深かった。
そして、そのすぐ真下から胸の筋肉が、あたたかく豊かに、
大きく前方にはり出すようにして、盛り上がっていた。
「鍵は、どこなの」
自由な方の右手をドアに伸ばしていた。
「い、いや……、か、かぎが、か、かっているわけじゃ……、ないんだ。
ただ、し、しまって、いる、だ、だけなんだ……。 ぼ、ぼくは、ノブに、手。 手が、と、届かなくて……」
テレーズは何も言わなかった。 ドアを開くと、彼を内部に運び込んだ。
後ろ手に、簡単に巨大なドアを閉めるのを、彼も振り向いて眺めていた。
そして巨人族の世界に属する家具類を、久しぶりに上から見下ろしていた。
ここ数週間、室内にこもっていた彼を、卑小に感じさせていた元凶だったものだ。
それが、今では眼下を、飛ぶようにすぎていった。
「あなたを、あたためてあげなくちゃね」
彼女は、台所まで一直線に進んでいった。 キッチンのカウンターの上に、彼を立たせた。
たとえ、その位置でも彼の頭は、彼女の鎖骨ぐらいまでしか届かなかった。
今でも、見上げていなければならなかった。
彼を抱いていた緑のブラウスのむかって右側には、黒い雨のしみが、びっしょりと広がっていた。
そこから窓であるかのように、黒い下着のブラの紐が、一部分だけだが透けて見えていた。
「濡れたものを、全部、脱がなくちゃだめね」
彼に命令するようにいった。
「な、なんだって、そんなこと、君といっしょじゃ……」
彼は、ためらっていた。
「なんですって。あなたは、肺炎にでも、かかりたいっていうつもりなのかしら。
馬鹿なことは、いわないでよ」
赤い唇が前に突き出していた。
彼がためらっているうちにも、大きな二本の手が前にのびてきた。
手首から爪先まで長さ一メートル、幅五十センチメートルの大きさがあった。
シャツの裾を摘まれたと思うと、一気に頭の上に引き抜かれていた。
濡れた衣服は、素肌に貼りつくようになっていたが、大きすぎるせいで、滑るように脱げていった。
彼女はそれをシンクの中にびちゃりと落とした。 水しぶきが、あたりに巻き散らされた。
片手に彼の尻を乗せて、軽く持ち上げるようにしながら、プラスティックのサンダルを脱がせてしまった。
それから、ナイロンのズボンのベルトに手をかけると、尻まで引きずりおろした。
彼女の手を全力で振り払おうとしたが、彼女はこういっただけだった。
「そんなに、じたばたしないの」
何の苦もなく下着までを脱がした。
「さあ、いいわ」
全身をマッサージしてもらう程には、冷えきっていないと思っていた。
両手で恥部を隠すようにして緊張していた。
ノーマルなサイズの人間たちに、自分の裸を見られることを嫌悪していた。
診察室の医者でも看護婦でも、妻であったとしても同様だった。
何も着ないでいると、自分が小さいということが、衣服を付けていない時にも増して、
二倍に感じられてしまうのだ。
二倍も素裸で、二倍も頼りなくなったように感じられた。 四倍の苦痛だった。
だから、素裸になるまで、義理の姉に衣服をはぎ取られたことは、屈辱以外のなにものでもなかった。
それでも、認めざるを得なかった。
濡れた衣服を身に付けていないということは、本当にいいものだった。
外の風にさらされていないという事も、悪くなかった。
テレーズが、自分をじっと見つめていることに、やっと気が付いた。
彼女の顔に浮かんだ表情は、実に奇妙なものだった。
何を考えているのか分からなかった。 放心したような顔だった。
しかし、不親切な感じはしなかった。 長い注視の時間だった。
視線が、彼の身体を隅々までさ迷っていた。
「……さてと、君は、さっきから、何を見てるんだい?」
とうとう、そう自分から口に出した。
「……あら、……ごめんなさいね」
彼女は、ためらいがちに、そういった。
しかし、視線を外すことはしなかった。 手を延ばすと、彼の両肩を、両手の指先で握るようにした。
いらいらするほどに、強い力だった。 両足を浮かされて、くるりと向きを変えさせられた。
それで、彼女に背中を見せる格好になった。
剥出しの尻が、隠すものもなく無遠慮な女の視線にさらされていた。
気まずい思いで、もじもじしてみせても、彼女が言ったのは、これだけだった。
「ただ、……あなたの全身を、本当に……、チェックしていただけなのよ。
……本当に、どこも、けがは、していないみたいね。
……さてと。 それじゃ、あなたのことを乾かしてあげなくちゃ」
テレーズは、タンスを開けていた。
「ほら、見付けたわ」
ふりむいた時には、手に洗いたての無地の白い手拭き用のタオルが、握られていた。
それを、彼の鳥肌のたった身体にかけた。
彼の身体を隅々まで、そのタオルで拭いて、きれいになるようにしてくれていた。
それは、まるでマッサージにレスリングを足したような、すさまじいものだった。
彼女の両手の力はとても強く、情け容赦がなかった。 タオルの端を、二本の指で挟むようにした。
遠慮なく彼のびしょびしょに濡れた髪の中までを、ごしごしと拭いた。
指先でも、彼の手首よりも太いのだった。
数分後、やっとのことで彼のことを解放してくれた。
「さてと、これで気分はどうかしら」
十四ラウンドを終わったボクサーのように、足元がふらふらしていた。
かろうじて、タオルを身体の周りに巻き付けるようにしていた。
「い、いい、ようだね」 認めざるを得なかった。
まだかすかに震えてはいたが、テレーズのやさしい荒々しさがなければ、
きっと風邪をひいてしまっていたことだろう。
「あなたを、もう少し、暖めてあげなくちゃ。 お酒は前と同じ場所に、しまってあるのかしら」
そう聞いてきた。
「酒だって……」
「そうよ、あなたたちは、まだリキュールを、あの戸棚のなかに入れてあるのかってことよ」
酒で何をするつもりなのか、良く分からなかった。
「いや、それは、食器棚の下のどこかに入っていると思うな。 たぶん、シンクの下の、右側の端の方に」
素足の爪先で、その場所を指し示した。
「ぼくは、酒をルイーズにいって、自分の手の届かないところに、しまってもらうように頼んだんだ。
……アル中になりかけてね」
「それじゃ、わたし、自分で探してみるわ」
そういうと、上半身を二つに折って、頭を下げた。
彼の立っているキッチンの下を、覗き込むようにしていた。
青いスカートの生地が、雄大な尻の肉の量感に圧迫されて、縫い目がはちきれそうになっていた。
ぴんとはりつきそうな布が、双丘の曲面と割れ目までをくっきりと見せていた。
小さなビキニ・パンティの線が、くっきりとあらわになっていた。
今度は、彼の方が注目する番だった。 見る価値は十分にあった。
幅二メートル、周囲は四百センチを軽く越える臀部だったから。
彼女が、スタイルの良い体型を維持していることを、認めないわけにはいかなかった。
週に三日は、水泳やフィットネス・クラブで、鍛練しているらしかった。
いつもテレーズの前方に突き出すような胸と、つんと上を向いた尻には魅了されてきていたのだ。
尻の位置が、今の彼には、以前よりも遥かに高いところに、なったというだけのことだった。
彼は、ガラスのボトルがお互いに触れ合う、チリチリという音を、耳にしたような気がした。
それからしばらくの間、さらに熱心に捜し回っていた。
ルイーズがうまく隠してあるので、時間がかかっているようだった。
「スコッチは、どうかしら……。 あなたは、今でも、お酒を飲んでも、構わないのかしら?」
「ああ、……」
彼は、それだけを言った。 本当は医師から、禁酒を言い渡されていた。
テレーズは、スコッチのボトルを、カウンターの上にズシンと持ち上げた。
スコットには優に冷蔵庫ぐらいの質量があった。
そして彼の目の前に、底のガラスがぶ厚いグラスを、どしんと置いた。
「こいつが、あなたの身体を暖めてくれる、世界最高級のお薬よ」
彼女は、巻き毛をしなやかな指先でかきあげた。
そして、琥珀色の液体を、グラスになみなみと注いだ。
「飲み干しなさいな。 これは、ドクターからの命令よ」
彼は、手を出しかねていた。
「そう……、なんだろうけど……」
「何よ、何か文句があるの?」
彼女は、詰問口調で尋ねてきた。
「……申し訳ないんだけど、この種のショット・グラスは、ぼくにはちょっと重すぎるんだ。
たぶん、もっと飲みやすいグラスが、どこかにあるはずなんだ……」
彼女はぴしゃりと音を立てて、自分の額を手のひらでたたいた。
それは実際スコットにとっては、ビールの大ジョッキ以上の大きさがあった。
「神様、わたしって、なんて馬鹿なのかしら……。 もちろんそうよね。
こいつは、あなたには大きすぎるわ。 ごめんなさいね、スコット……」
彼は、力なく笑ってみせた。
「……いいんだよ。……部屋の隅に、プラスティックのバスケットがあるだろ。
その中に、ベスの人形用の食器があるはずなんだ。
中でも、一番小さいプラスティックのコップを、出してくれないか」
彼女は、彼に小さな人形用のコップを手渡した。
ショット・グラスから、それにスコッチを汲んだ。 彼が飲み干すのに、ちょうど良い分量だった。
タオルの端を一方の手で固く掴んだままで、プラスティックのコップを、テレーズの方に高くかかげた。
素晴らしいグラマーな肉体に捧げたつもりだった。
「乾杯!」
そう言うと、一気に飲み干した。 酒は食道を熱く下っていき、胃の腑の粘膜を灼くようだった。
その感触は、すばらしいものだった。 胃に納まっても、熱量が消えずに残っていた。
「一滴残さずに、飲み干すのよ」
彼女も自分のショット・グラスを持ち上げると、上を向いて一気に深紅の口元から、
深い喉元に、流し込むようにした。 テレーズは、いつも酒が大好きだった。
ごくりと長く白い喉の筋肉が動いた、なまめかしい光景だった。 テレーズが週末の休みのほとんどを、
パーティをして過ごしているという兄のマーティンの話を思い出していた。
「フムムムムム、あなた見たところ、まだ、いけそうじゃない?」
彼女は、自分のグラスに、スコッチをこぼれるように注いだ。
次に、彼のグラスにも、ボトルの口に親指をあてがって、注意深くいっぱいにした。
彼女は自分の分を、またぐびりと音を立てて飲み干した。
「今の、気分は、どうかしら?」
「だいぶいいよ。 すくなくとも、君が、ぼくのことを、庭で見付けたときよりはね。 ありがとう、テレーズ」
彼女は、巨大な片手を延ばしてきた。
不意に、スコットのタオルの内側に差し込んできた。
彼は身を退いて、後ろに下がろうとした。
が、長く暖かい指で、太股を握り締められていた。
もう少しで、陽根の先端に手が触れそうだった。
指はくるりと足枷のように簡単に、太腿を回っていた。
「あなたの膚は、今でもまだ、氷みたいに冷たいわ。 このままに、してはおけないわね。
どうすれば、いいのかしら? たぶん、一番いいのは、熱いバスに入れて上げることよね……」
彼女は下唇を、白い歯で噛んでいた。
「いや、テレーズ……」
「……わかったわ。 わたしはこれについちゃ、ちょっとした知識があるのよ」
彼女はショット・グラスを、カウンターに置いた。
そして、彼がびっくりしたことには、緑のブラウスのボタンを、上から順番に音を立てて外し始めた。
乳房のふくらみが、蛍光灯の光にはちきれそうに映えていた。
「こういうときは、あれなら、魔法みたいにうまく行くわ」
「君は、な、なにをするつもりなのかな?」
スコットは、緊張のあまり震える声で言った。
テレーズに対して、自分が無力であることは、今迄のことで骨身に沁みていた。
彼女は彼に対して望むならば、ほとんど何でも出来るのだった。
ブラウスのボタンを腹まで、全部はずしていた。
黒いレースのブラジャーがあらわになっていた。
そして、さらにスカートの中から、ブラウスの裾を引き出していた。
彼女は、いったいどうするつもりなんだ。
彼は息を呑んでいた。
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マチスンの主題による変奏曲第2番(四十センチメートルの頃に) 前編 (了)