| 性的表現、暴力的描写があります、未成年の方は読まないでください。
 
 エンパイア・シリーズ コスモポリタン
 
 ゲイター・作
 笛地静恵・訳
 
 第1章 敵のキューブ
 
 1***
 
 「ダフネ!プリシラ!あなたたち、何をさぼっているの?」
 
 ティファニーは、お尻に火がついたような勢いを出していた。自分の経営するヘアー・ドレッシング・ブティック『眠れる美女たち』。そのドアが開くのも、待ちきれないような状態だった。駆け込んで行った。白いハードタイルの上に、ハイヒールの踵が、かつかつという、石を打つような硬い音を立てていた。
 
 二人のブロンドの美女たちは、客用の椅子に座ったままで顔に驚きと恐れの表情を浮かべながら、ボスの顔色を見上げていた。
 
 「何もしていません。ただ、ええと〜、あの〜、その〜、休憩していただけです。 たまたま、お客様がいなくなって、暇になったものですから!」
 
 ダフネは、半分食いかけのドーナツを、足もとのゴミ箱に放り込んで、立ち上がっていた。白い仕事着の前をパタパタと叩いて、食べかすを床に落としていた。
 
 「あなたたちは、ここじゃなくて、入口の席で受付をしている時間でしょ?アポイントメントのある、大切なお客様がいるでしょ……。スミッサーマン夫人よ。彼女をお待ちしていなさい!」
 
 ティファニーは、二人のしなやかなスタイルの女性たちに両手を振り回していた。
 
 「でも、シャロン……」
 
 プリシラは、口を開こうとした。
 
 「私に、「でも」は、なし!行きなさい!今すぐよ!」
 
 大柄な巨乳の赤毛の女性は、1000ドルをかけたネイル・アートの鋭い爪で、空気を切り裂いていた。彼女達を威嚇していた。すぐに受付の指定の席に出て行った。重要なお客様を向かえるために。それぞれのヘアー・スタイルを入念に直していた。
 
 ティファニーは、鏡の前の金持ちのお客様用の、豪華な革椅子に、大きな身体を落とし込むようにして、どすんと座り込んでいた。美容師たちには、アポイントメントのあるカスタマーを待たしてはいけないと、あれほど教え込んでいるのに……。
 
 感情が爆発しそうだ。限界まで、追い込まれているような気がした。ストレスが溜まっていた。自分でヘアー・ドレッシング・ブティック『眠れる美女たち』を経営する前は、こんな風に他人に対して、いらいらと怒鳴り散らすような真似を一度もしたことがなかった。
 
 「赤毛で巨乳の女」として、いつも恋人達に、「頭が悪いセックスが好きな女」という軽いイメージをもたせることに成功していた。その手腕に、ある種の誇りを抱いていた。狙った相手を落とせなかったことはない。
 
 しかし、母親のサロンを継いでからは、怒りとストレスが溜まる生活になっていた。厳しく自分を律することによって、金持の夫人たちの、我儘な欲求に対応しなければならないという困難な仕事を、なんとか順調にこなして来ることができたのだと思う。この日々が彼女に、肉体の疲労感とともに、もう若くないという精神的な感覚を抱かせていた。
 
 深いため息をついていた。ダフネが残していった「ダイエット・ペプシ」を、一口だけ飲み込んでいた。まったくフェアではなかった。ラブ・ライフの方は、完全に断絶していた。ひとりの生活は、わびしいものだった。仕事にたいしても、全く面白さを感じられなくなっていた。彼女にとっては、これは「人生の終わり」さえも意味していた。「若くて楽しい日々」の終わりだった。高級スーツの上から、両手で巨乳を握り締めるようにしていた。どうして選りによって彼女だけが、この全宇宙で、全身でエクスタシーを感じ、我を忘れるような、あの瞬間を体験してはいけないのか?椅子の中で豊満な肉体を悶えるように動かしていた。
 
 また、深いため息をついていた。
 
 腕時計が、鳴り始めた。
 
 タイマーをセットしておいたのだった。
 
 以前の母親の時代のサロンでは、未使用だった空間を、休憩室に活用している。そこにおいてある自動販売機のサンプルを、ぼんやりと眺めていた。タイマーの耳障りなアラーム音が、ようやく何かの重要な用事を思い出させようとしていた。自分で必要があって、プログラムしたのだった。腕時計の液晶画面に表示されているだろう、予定の文字を読むのさえ嫌になっていた。
 
 「かわいそうなお姫様が、幸福な生活を手に入れるのは、いったい、いつになるのかしら?」
 
 声に精一杯の哀れみの感情を込めて、自問自答していた。アラームを解除した。小さいが周囲にダイアモンドを鏤めた豪華なスクリーンを眺めていた。
 
 「宇宙港」
 
 それだけだった。
 
 「宇宙港って?なんだっけ?」
 
 彼女は、冷酷な無生物に質問していた。ビーチ、ナイト・クラブ、恋人達。宇宙港にいかなければならないような、楽しい休暇につながる予定があるはずもない。まだ、ちょっとだけ視線を宙に泳がせていた。両眼が、待合室の机の上の月遅れの雑誌『コスモポリタン』の表紙の上で、焦点を結んでいた。そこには、ひとりの女が全身のガラスの立方体を、いくつもぶらさげて立っていた。ガラスの内部には、いくつものビルディングが立ち並んでいた。そして、プラットフォーム(厚底靴)の内部には、一個の大都市の景観をそっくり見ることができた。
 
 「敵のピース・ファッション!」
 
 表紙には、そんな文字が大きく躍っていた。
 
 「ああん!宇宙港だったわ!」
 
 ティファニーは、自分自身が信じられなくなっていた。彼女専用の「敵のピース」という勝利のトロフィーを手に入れることができる日が、今日だったのだ。それを、すっかり、忘れているなんて。今までの自分では、ありえないことだった。この日が来るのを、数週間に渡って心待ちに待ち続けて来たのだ。それは、心の中心に位置する存在になっていた。ギャング団の首領のような殺気だった表情で椅子から立ち上がっていた。
 
 「ごめんなさい。私は今日はブティックを、休まなければならなくなっちゃたの!どうしても、そう、しなければならくなっちゃったのよ。ああ、親戚の誰かが亡くなったらしいの。鍵は、プリシラが閉めていってね!!」
 
 ティファニーは、巻き毛のブロンドを靡かせながら、店の鍵をプリシラに投げ渡していた。入口のドアから、レーシング・カーの04加速のような勢いで、発進して行った。
 
 「彼女、どうしちゃったのかしら!?」
 
 プリシラは、店の鍵を預かったことなど、今までに一度もなかった。ダフネは、仕事の手を休めることもなかった。スミッサーマン夫人の髪の癖を直す、困難な作業に没頭していたのだ。
 
 「わかんないわ?ヴァイブレーターの大安売りの記事でも見つけたんじゃないの?」
 
 二人の美容師の女達は、意味ありげな表情で、微笑み合っていた。同性の目でも、いやらしいほどに成熟した女らしい肉体を持った赤毛が、機械の援助を必要とするかわいそうな状況にあることを、熟知していたのだった。
 
 2***
 
 ドンナは、もうほとんどのキューブを、今回の当選者に手渡しする仕事を、終えていた。二つだけを残して。チケットを見るたびに、どうして、このように高価な品物を購入できる裕福な人が、こんなにたくさんいるのかと不思議でならなかった。プラスティックの立方体を持ち上げるのではなくて、両手で挟みようにしていた。
 
 「まるで、こいつらが普通の小包で、ゴミの入った箱を受け取っているだけのような、ほんとに気楽な感じなのよね」
 
 ドンナはため息をつきながら、けして自分の物になるはずのない貴重な物体の内部を覗きこんでいた。
 
 静かに吐息をつきながら、手元に引換券の小山を見詰めていた。コンピュータのキーボードを、すばやい指の動きで叩いていた。残りの二つの怠け者の所有者の、名前と電話番号を検索していた。最初の番号の方に電話をしてみた。事務的な熱意のない声だった。
 
 「もしもし、ドンナ・イーグルと申します。宇宙港の遺失物引き取り所の管理官をしております。あなたの「敵のピース」が、こちらに保管されております。もうすぐ、引き取り時間が終了しますので、確認のための電話をしております……」
 
 彼女は、業務上の決まり文句だけを淡々と述べていた。
 
 答えは、彼女を仰天させるものだった。
 
 「あたしが、娘にあれを買ってはいけないって、あれほどきつくいったのに……あの……あの、あれをよ!口にするのも、けがらわしいわ!!あなたには、あたしの家に、あれを絶対にうちに持ってこないように、お願いするわ!」
 
 それは、怒り狂ったような母親の声だった。ドンナは、受話器の向こうから、生意気な小娘が頬を殴られる鋭い音が聞こえるような気がした。
 
 「このことだけは、ご理解していただきたいと思います。もし、品物を受け取らないとしても、宇宙船の貨物運賃だけは、お支払いいただくことになっています。銀行口座から、引き落しになっています。よろしいでしょうか?」
 
 ドンナの心臓は、喉から飛び出しそうになっていた。受話器を、きつく手に握り締めていた。全く新しい興味と関心を抱いて箱を凝視していた。
 
 「その件は、あなたのおっしゃるように、してくださっていいわ!あたしは、お前に、あれを買ってはいけないって、あれほどきつく注意したのに。どうやら御仕置きが必要なようね!」
 
 母親が、顔も見えない少女に説教している激しい声を耳にしながら、ドンナは気分が高揚していくのを感じていた。
 
 「それを、先方に送り返してちょうだい。それとも、あなたの権限の範囲で、自由に処分しちゃっていいわ。全部、お任せするから。もう二度と、電話だけはかけてこないでちょうだいね!運賃は、御支払いするから!それじゃ!さよなら!」
 
 彼女は、受話器をドンナの耳元に叩きつけていった。
 
 ドンナは、喜びのあまり椅子から飛び上がりたいような気分だった。ひきしまった可愛い乳房が、少しきつめの青と白の宇宙港の職員の制服の胸元で弾んでいた。長くて茶色のまっすぐな髪は、ボブにカットされていた。歓喜を心の中にだけ潜めて置けなかった。半分、アジア系の血が混じった可愛らしい顔の口元は、にんまりと大きな笑みを作っていた。キューブを胸元に抱きかかえていた。それから、いきなり自分の仕事の時間と空間に引き戻されていた。
 
 突然の声に、夢見心地を遮られていた。
 
 「ねえ!ねえ!それ、私のキューブじゃないのかしら!?」
 
 今日、二度目だった。彼女は、あの何人もの男を騙してきた無垢な子犬のような瞳を、大きく見開いていた。
 
 「ああ、いえ、違いますとも。お客様の分は、こちらに保管してございます」
 
 痩せた茶色の髪の女は、もうひとつの別なキューブをカウンターの足元から取り出していた。
 
 ティファニーは、彼女の美しい顔を見詰めていた。完全な姿のちっぽけな都市のブロックが入った立方体を、手元から落としそうになっていた。それは、思っていたよりも軽くて、ほとんど手に重量を感じさせなかったのである。
 
 彼女は両手でプラスティックの箱を、しっかりと持ち直していた。茶色の髪の宇宙港の事務員の顔を、もう一度、しげしげと眺めていた。彼女達は、お互いに長い時間、じっと見詰め合っていた。呼吸のテンポさえ同調させていった。
 
 「それで?」
 
 とうとうティファニーが尋ねた。
 
 「ああ、そうですね。お持ち帰りいただいて結構です。あなたが、今日の最後のお客様だったんです」
 
 「ああ、そうだったの」
 
 ティファニーは、彼女をさらに数分間というもの、見詰め続けていた。
 
 「それじゃ、何かの書類にサインする必要もないの?」
 
 「ああ、結構です。必要ありません。それでは、楽しい一日を、お過ごしください」
 
 ブルネットは、サービス・カウンターの前のシャッターを下ろしていた。窓のカーテンを閉めていった。もう宇宙港にも、夕暮れの影が落ちていた。宇宙船が、黒い影を長く落としていた。
 
 ティファニーの方は、自分の立方体を抱え直していた。この中に、本当に広告の文句のように、生きた人間が入っているのだろうかと、不審に思っていた。あまりにも手続きが、簡単に過ぎるような気がした。いきなりブラインドの向こうから、大きな声が聞こえた。
 
 「ああん!そうよ!そうなのよ!」
 
 ティファニーは、とうとうその場を立ち去る決心をしていた。あの事務員が、いかに可愛くても、ここに来た目的は、単に最後に残った立方体を受け取ることだけだったのだ。脇の下に抱え込んでいた。成熟した肉球の側面を、立方体に押し付けていた。駐車場の自動車のところまで歩いていった。助手席に置いた。シートベルトで、丁寧に固定していた。まるで赤ちゃんにするような優しい動作だった。
 
 若い頃の情熱が、自分に甦ってくるような気がしていた。自分自身の快楽の道具として、縮小された都市を思いのままに使用していいのだ。これほどに変態的なプレイをする経験は、多種多様なセックスの経験が豊富な彼女としても、一度としてなかったことだった。
 
 帝国の忠実な臣民達は、こいつらで、これまでどのようなことをして来たのだろうか?『コスモポリタン』に掲載されていたように、自分専用の装身具を作るだけなのだろうか?そうかもしれない。そうではないかもしれない。彼女はそれを開くことが、帝国の法律に抵触しないことを確認していた。内部の品物で遊ぶことも自由だった。いきなりアイデアが閃いていた。この中の、ちっぽけで絶望的な敵の市民を使って、魅力的なプレイをするアイデアが湧きあがってきたのだった。
 
 「今夜は、大きなママと一緒に、寝ることにしましょうね」
 
 彼女は無意識に、巨乳を両手のカップに抱え込んで持ち上げていた。自動車のすぐ脇で物音がした。小柄なおばあさんだった。ティファニーの公衆の面前で胸を揉むという破廉恥な行為を、咳をすることで嗜められたようなきがした。だが、そうではなかった。
 
 「奴らにとってはね。あたしだって、大きなママだったのよ。お嬢ちゃん」
 
 老女は、自分の両手をティファニーがしたように、垂れ下がった大きな胸元にあてがっていた。今度は、ティファニーの方が老女のはしたない行為に、顔をしかめる番だった。
 
 「ああ、そうなんですか!」
 
 ティファニーは、大きな音を立てて、運転席のドアを閉めていた。老女がいた場所とは逆の方向に、自動車を急発進させていた。いやらしい老女から、できる限り早く遠ざかりたかった。
 
 3***
 
 ティファニーは、まっすぐに仕事場に戻っていた。まだ店が開いているのを見ても、ことさらに驚くということもなかった。不景気そうな街並を通過していく間にも、お店の経営不振の問題が脳裏を横切ることはなかった。彼女の頭は、今夜の過ごし方のアイデアを考えるだけで、泡立つような状態になっていた。
 
 店の女達は、彼女がペルシアン・バッグの中に、あのキューブを隠していることに気が付いても、あえて目を向けようともしなかった。
 
 「どうして、彼女は「敵のキューブ」を隠しているんだと思う?」
 
 プリシラは、眼前に展覧されている大きな髪の毛の迷路と格闘しながら、質問していた。
 
 「わかりませ〜ん!」
 
 ダフネは、ある学校の教師の厳格な顔に、女らしい優しい印象を与えるヘアー・スタイルを作るという、難しい応用問題に取り組んでいた。彼女の幼稚な学生言葉は、ひどく現状にマッチしていた。
 
 ティファニーは、間に合わせで使っている状態の、自分のオフィスに入っていった。元は、ここも店として使用していた場所だった。母親の時代には、もっと人気があった。多くの客を、さばかなければならなかったからだ。少なくとも床の白いハードタイルは、もっと雰囲気のあるものに、張替えようと思っていた。が、まだ実際には手をつけていなかった。ミラノの工業デザイナーの手になる白い執務デスクと、白い大型のカウチ(寝椅子)だけが、彼女の趣味による選択だった。二人で乗って充分にセックスが楽しめるサイズがあった。
 
 散らかし放題の白いデスクの中央に、何とか空いた場所を作っていた。キューブを置いていた。緑色の瞳は明るく輝くようだった。クリスマスの朝のようだった。素晴らしいプレゼントの山の光景があった。大きな期待と興奮を小さな胸に抱いていた。子供時代に、自分が戻っていくような気がした。
 
 しかし、いつもと同じことがあった。新製品と格闘していると、パニックに陥っていくような不安な気分がしてくるのだった。だいたい、この危険物を、どうやって開けばいいのだろうか?
 
 ヘアピンを試してみた。プラスティックの表面に凹みを作ることさえできなかった。次には、爪を磨くための鑢を取り上げていた。箱の角の部分を擦っていった。つま先だけでも入るような穴を、開けることができないかと思ったのだ。もし指一本でも入れば、あとは爪を使って、薄いプラスティックを、引き裂くことが出来る様な気がした。
 
 しかし、爪が割れるような痛みに、思わず数歩後ろに下がっていた。指先を大きく振っていた。
 
 「痛たたたたたたたた!今に見ていろ。目にもの見せてやる!XXXXしてやる!」
 
 ティファニーは、実際にプラスティックの都市の前に仁王立ちになって、指を銃口のようにつきつけながら、過激な発言をしていたのだった。
 
 もう少し、落ち着くべきだと思っていた。今度は、ピーナッツ・バターをクラッカーに塗るために常備しているバター・ナイフを、机の引き出しから取り出していた。丸くなった刃先を、箱の上の部分に突き立てていた。
 
 予想していたような果果しい結果を、もたらすことはできなかった。
 
 「ダフネ!!!!」
 
 ティファニーは、とうとう投げ出してしまっていた。巨乳で赤毛の女の頭では、脳髄の釣鐘が、頭蓋骨の内側にぶつかって反響していた。なんとか箱を開けようとする努力で、激しい頭痛がしてきたのだった。
 
 すぐにダフネが部屋に入ってきた。整髪用のはさみを片手に持ったままだった。
 
 「どうしたんスかあ〜?」
 
 こんなに取り乱したボスを見るのは、オイル・サーディンの缶詰が開けられなくて、打ちのめされていた日、以来だった。
 
 「この箱、どうしても開けられないの!!」
 
 ティファニーは、まるで十歳の少女のような声で、ダダをこねていた。開かない箱の強情さに腹を立てていた。
 
 ダフネは、ちらりと一瞥をくれていた。このような状況を打開するためには、ただ一つの方法しかない。すぐに心を決めていた。最近、同じような状態になったことが、彼女自身にもあったのだ。休憩室の棚から、缶切りを持ち出してきた。プラスティックの箱の隅を、まるでアルミ缶にするようにして、きしきしときリ裂いていった。それほどに時間をかけることもなかった。プラスティックの箱の上部の部分を、切り離すことに成功していた。
 
 「ああ、そうよね。私も、そうするつもりでいたの。でも、爪を割っちゃったから!」
 
 ティファニーは、弁解するような声音で答えた。
 
 「じゃあ、これで、グスリーさんの髪の仕上げに、戻っていいスよね?」
 
 彼女は、赤い顔をしたボスをその場所に残して、さっさと退室していった。
 
 ドアが閉まった瞬間から、ティファニーの大きな瞳は、輝きを取り戻していた。上の蓋になっていた部分は、完全に取り去られていた。手が触れることができる場所に、すべてが無防備な状態で顕わになっていた。生きている小さな人間でいっぱいの『蟻の丘』のようなものだった。
 
 指先でビルディングに触れてみようと思った。手を中に入れていた。まるで蝶の羽のように、デリケートな感触をしていることがわかった。触れた瞬間に、崩れ落ちてしまっていた。廃墟になっていた。
 
 「あらあら」
 
 まるで小さな子供のように、唾を噴き出して笑っていた。
 
 眼前で展開されている光景に、すっかり魅了されていった。
 
 
 
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