性的表現、暴力的な描写があります。 未成年の方は読まないでください。
トーイ・ゲーム―― 巨人からの手紙 第1章
ヘディン・作
笛地静恵・訳
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1
一人の巨人として生きることは、一風変わった生き方を選択することである。ひとことで言えば、そういうことだ。以下に書くことは、その意味を、明らかにするためである。
もちろん、あなたたちが、私たちを知っていると承知している。私と娘である。かつてはニュースの紙面を独占した。けれども、それも、ここ数年間は、だいぶおだやかな状況になっている。私たちは、慣れたのだ。あなたたちも、慣れたのだ。付け加えるべきことは何もない。新聞の論説もそう書いている。あなたたちは、私たちについて、すでに多くのことを知っている。しかし、あえて私自身の自己紹介から始めたい。もちろん娘についても。
私の名前は、ジェイン・ミルウォーキィである。州の名前ではない。笑ってもらえてうれしい。私たちは、カリフォルニア州の出身である。グレイブスボロと呼ばれている地に住んでいる。それに、まちがいない。フレスノ
に近い。北にはヨセミテ が、片腕を延ばしたぐらいの距離にある。南にはキングスキャニオン がある。美しい土地。もちろん、ほとんど旅行したこともない。
私たち自身の話題にもどろう。私は、そろそろ四十歳になる。
はっきりと言うべきだって?
いいとも。三十九歳である。あなたたちが、すでに知悉していることだ。隠す理由は何もない。
娘は、私が二十八歳ぐらいに見えるという。私は娘の意見が、正しいことを望んでいる。しかし、この点については、他の誰からも、そう言われたことはない。
メリーが私の娘だ。先月、十九歳になったばかりである。私は、いつも彼女のことを誇りに思っている。あなたが、若いころに何をしていたのかと反省してみれば、私の言うことに、共感してもらえるだろう。
私たちは、この状況下で、すでに七年間を生活してきた。
もしも、あえて質問されるならば、穏やかな日々であったと答える。
私たちが、どうして巨人に変身したかについては、多くの噂がある。いや。それに、また新しい説を付け加えるつもりはない。あなた自身の観点を採用して頂いて、なんら差し支えない。
私自身は、自分のことで忙しい。新聞を読んだことはない。何はともあれ、文字が小さすぎるのだ。
あのころの話にもどろう。2009年のことである。時の水車は、いつも同じ速度で回転している。私とメリーは、生き残るために苦闘していた。少なくとも、その中で変化の時が訪れた。六月のことだった。その午後には、いくつかの店の掃除を兼任することで、私は日給として貴重なドル紙幣を稼いでいた。七月にメリーの誕生日が来る。私は、金が欲しかったのだ。またしても、帰宅が遅くなった。
メリーは、勇気のある少女だ。キッチンで彼女は夕食を作り、キッチンのテーブルの上に出しておいてくれた。何も特別な料理ではない。しかし、それで私は充分に満足だった。数口で平らげた。二階に登り彼女を見た。メリーはベッドで本を読んでいた。女の子向けの雑誌である。馬、少女たち、冒険、魔法、その種の記事が掲載されたものである。私は彼女が、その年頃の女の子がする、TVの前にかじりつきの状態になるのではなくて、本を読んでいてくれることが、うれしかった。
その日も、午後の仕事が、きつかった。私は、ベッドに入ると、スイッチが切られた様に、即座に眠りについた。
朝になった。いつもと全く変わることのない朝……そのはずだった。ただ水道の蛇口をひねっても水が出ない。電気が来ていない。私は、悪態をつきながら、メリーを学校に間に合わせるために起こした。キッチンに行った。彼女のために朝食を作った。
「ママ、もう遅いわ。急がなくちゃ!」
「朝ご飯を、食べなくちゃだめよ。年頃の娘さん。さあ、登校しながら食べなさい!」
彼女が出て行った。
ドアに、バン!
私は、ドアの外に出て新聞を取った。メリーが郵便ポストのそれを丸めて、パティオに投げ込んだのだ。キッチンにもどったところで、ドアにノックの音を耳にした。
「マム?」
私は、メリーの声が、擦れているのが分かった。それだけで、わずかだが、何かの異変を察知した。何か異常なことが起こったのだ。すぐに、私には、何名かの労働者の姿が、脳裏に浮かんだ。ブルドーザー。ビルを破壊する鉄球。頭の良い弁護士……。
私はドアの所に立って、少しだけ隙間を開いた。バスローブを羽織っただけだったし、そして……下には、何も身につけていなかった。室内では軽装で過ごす主義である。御存じだろう。私は外を見た。メリーの不安そうな表情が、そこにあった。
「どうしたの?」
「出てきて、自分で、たしかめて見て!」
「メリー、私は、バスローブしか着ていないの。前を締めても、両脚は、むきだしだわ……、それに」
「マム、そんなこと、大した問題じゃないわ」
私は彼女の顔を見つめた。彼女は……、興奮している。恐怖しているわけではなかった。
私は、バスローブの紐をきつくしめた。乳房の前の襟元を合わせた。そして、ドアを開いた。メリーが一歩、脇によけた。
そして、私は……見たのだ。
最初は、何も見えなかった。私が見たのは、いつもの風景である。山並みである。しかし、……キングス川は、どこ?
「川はどこ?」
私はささやいた。
「あたしが思うに、道路になったんじゃないかしら」
とメリー。
「ナンセンス!」
私は、そうつぶやいた。メールボックスのところまで、歩いた。はだしで。
そして、このことは、説明しておくべきことだったが家の前には、かつては道路があった。そして、キングス川は、そこにあることはあった。それは、まあ言ってみれば、エルフの王国の小川か、何かそんなものにすぎなかったけれども。
私たちの家の緑の芝生が生えている土地は、河の緑の土手に面していた。草の緑が、木々の緑にまじりあっていた。ただ高さの相違だけがあった。メリーは、芝生を、すぐに縦断していった。
「あたしは、今日は、学校に遅れても、たいした問題には、ならないと思うわ。マム」
「そうね。あなた。これはいったい、どうしたっていうの?」
あなたたちが想像している通りだ。私たちは真実に直面する必要があった。
新聞の主張の要点は、私たちのサイズが、変化したということである。あるいは、私たちをのぞく全世界のサイズが。
私は、メリーに定規を貸してもらった。木々の高さを計った。敷地の端に、しゃがみこんでいた。私は大きい方のそれを選んだ。かなり大きな松の木である。外見はそのように見えた。だが、それは、たった一インチしかなかった。
私は、家の中に入った。百科事典を調べた。松の木。そう書いてある。80フィート(約25m)の高さにまで成長する。外にあるそれは、1インチ(約2.5センチ)しかなかった。あの樹は、今の状態の、一千倍の高さがなければならない。しかし、そうではなかった。
テラスの方に歩いて行った。裏庭を眺めた。ノーマルな状況に見える。すくなくともフェンスのところまでは。
その向こうに、自然公園のキングスキャニオンがある。片腕を延ばした距離に。すでに、そう言ったとおりである。
地図を取り出した。私たちは、自分たちの小さな家が、北には パインフラット湖 まで、南西にはヌーバ まで。左手に半分の地帯まで、延び拡がっているということがわかった。東にはフェンスの向こうに、パジャーアンとパインハースト がある。
ミラモンテ、オークランド、オレンジコーブ… それらのすべての土地は、そう、私の家に、とってかわられたのだ。地球上から消え失せてしまった。
私には、どうしてこんなことが起こったのか分からなかった。しかし、もしあなたの手元に、旧世界の地図があれば、家の中央部から少し右手の辺りに、一つの大きな町があったことがわかるだろう。
「何か、重要な場所が、なくなっていると、思わない?」
メリーが、私に尋ねてきた。
「何かって?」
「スコーバレー」
彼女は、キッチンのテーブルの上に広げた、地図の一点を指さしていた。
「わからないわ。あまりにも、信じられなくて」
それから、私たちは、真実に直面したのだ。
外部の世界は、小さくなっている。あるいは、むしろ、私たちが大きくなっている。1000:1の尺度である。それは、私の身長が、1マイル(約1600m)になっているということを意味する。私は5フィート3インチ(約160cm)である。メリーの方が、長身である。彼女は、5フィート11インチ(約178cm)ある。
母親にとって、子どもをどうやって養うかを考えることは、自然な本能である。私が言うのは、単純に、愛や、水や、パンを与えるということである。そして、屋根のある安全な家の中で、ベッドで眠らせるということである。
屋根とベッドに関しては、今のところ問題はない。
愛についても同様である。そう信じる。
しかし、水道の蛇口からは、水は出ない。……当然である。
パンについては、……このまま家の中にいては、永遠に手に入りそうにない。
「お願い、メリー、部屋にもどって、本を、一冊か二冊、読んでいてちょうだい。私には、いくつか、外で確かめたいことがあるから」
「マム?面倒はかけないわ。あたしだって、何が起こっているのか、知りたいの。もう、それぐらいの年齢には、なっているはずよ。あたしたちには、水も。食料も。ない。また小さくなるために、どんな方法があるのかも、分からない。そうでしょ?」
「その通りよ、メリー。でも、今は、お願いだから、言うことをきいて。部屋に戻っていて、ちょうだい」
私が命令すると、少女は肩をすくめただけで、薄く微笑した。それから、二階に上がって行った。
私は、ドアに向かった。まだ素足のままでいたことに気が付いた。探検に適切な足元の装備ではない。私はメリーの黒いフリップ・フロップを、靴箱から取り出した。わたしの足には大きすぎるが、ともあれ、もっとも頑丈な靴だった。
私はフロント・ドアから出た。まっすぐに芝生の北の端に向かって行った。パインフラット湖は、… そう... それは、水たまりだった。ああ… 少なくとも、それは、まだ、そこにある。
少なくとも、あることはある。今のそれは、大きな水たまりだった。長目のそれか。深さは、数インチ。内部に数ガロンの水。5と10の間というところ。あるいは、もっと、あるかもしれない。巨人であるにしろ、何にしろ、私たち人間が生活していくためには、十分な量の水が、なければならない。それが、そこにあるとは言えない。
川そのものは、細い流れの筋として、辛うじて残っていた。しかし、見ているうちに、一日かければ、かろうじて、必要な水を供給してくれそうなことが、わかってきた。
それに、私たちの家の屋根に降る雨を溜めれば、なんとか生きのびていける。私は雨どいに細工をして、真下にバケツを置けるように改造することを、即座に決定していた。これからは、自然が供給してくれるものを、無駄にしては絶対にいけないのだ。
それで、水については、……一応、満足できるレベルだった。しかし、それも、節約すればというところだ。
次に、食料についてはどうか?
私は湖水を見下した。湖はいっぱいの状態である。しかし、もっと浅い時もあったはずだ。私はダムについては、存在を忘れていた。あのくそったれのダムだ。それが、まだ存在しているとは、なんとラッキーなことか。
私は数歩で、湖水の縁まで歩いて行った。自宅の芝生の端から1フィート(約30センチ)もない。川が芝生の中に流れ込んでいる。そこを幾分か濡らしていた。それは、黒いフリップ・フロップの靴底で湿った音を立てた。私は、水たまりに、足を踏み入れていたのだ。
それから、私は片方の足のつま先で、芝生に細い溝を掘っていた。深さが川の岩盤に達したことが分かった。黒いフリップ・フロップが、泥まみれになった。いくらか気持ち悪かったが、水たまりから足を出した。ゆっくりと川に水が流れ込んでいくのを眺めた。
湖水はいっぱいだった。水は充分である。しかし、水は節約しなければならない。心に刻み込む。一滴といえども、無駄にはできない。水の量に注意しなければならない。両の掌一杯分の水があれば、一日分として不足はない。
またパンの問題に戻った。食料である。私たちのサイズに、密接に関わる問題!私は、ちっぽけな世界を見下した。
そんなに驚いたわけではなかった。
だが、私は、小さな世界の真ん中に、一人、立ち尽くしている。
私は芝生を歩き、水たまりを跨いだ。たったそれだけのことで、川の土手の反対側。外の世界に、足を踏み出していたのだった。
私の右足と湖水の岸辺の間には、小さな山がある。私は地図から、その名前を知っていた。山の湖水にむいた方の面は、サニースロープと呼ばれている場所だった。たくさんの住宅で覆われている。金持ちが週末の時間を過ごす。そんな別荘地。今では、黒いフリップ・フロップの小指の辺りの下敷きになっている。そこに至る道は、消滅してしまっている。他の地域から、孤立している。
そのときの感覚は、説明するのが難しい物である。
私は……興奮していた。
私は、こう言いたかったのだ。
「あら、ごめんなさい」
「くたばっちまえ」
どちらであったのか、判然としない。両方だったのだろう。
この状況は、あまりにも非現実的で、ことさらに罪悪感を覚えるものではなかった。そうする代わりに、私は谷間には、山の反対側に抜けるための道が、走っていることを思い出したのである。その名前までは、思い出せなかったけれども。
そうする代わりに、私は軸足を回転させていた。踵を持ち上げていた。スポンジの靴底が、地面を離れていた。
私は自分が創造した足跡を一瞥した。
そこは、……平らになっていた。ただ、靴の底の滑り止めの刻印だけが、くっきりとそのままに盛り上がっていた。
私は、どちらの道路にも、何の影も見いだせなかった。しかし、より大きな車両だけが、明るい光をともった点として、かろうじて判別することができた。それほどに考える必要もなかった。この一歩で、何件かの家々と内部の人々を、巻き添えにしたのだ。そして、多くの人々の命を奪ったのだ。
私は、自分が多くの人間を踏み潰したことを、認めざるを得なかった。
私が彼らを殺したのである。
しかし、同時に自分が、わずか一歩を世界に踏み出しただけだということも、分かっていた。何も特別なことではない。それは、必要なことだった。
あそこにある建物と人々は、あまりにも小さすぎる。あまりにも遥か彼方にある出来事である。
私には、何か悪い事として、彼らの危難を、実感を持って受け止めることが、できなかった。
私は、たまたまそこに足をおき、たまたま彼らがそこに居て、消滅してしまった。ただ、それだけのことでしかなかった。人間は生きていく上で、無数の昆虫たちを始末している。それと同じことだ。それが意識的であろうと、無意識的であろうと、大した違いはない。つまり、そういうことである。
食糧問題は、以前として残されている。しかし、私たちの芝生の縁から、約百フィートは台地の向こうにある小さなフレスノの位置を、もう一度、確認すると、もう私にできることは、他に何もなかった。
たとえ家の外に出ていたとしても、問題の解決にはならないということを、意識せざるを得なかった。
食料はないのだ。すべては、あまりにも小さかった。それで、私は、家にもどらざるを得なかった。
ポーチの上を踏んだ時に、私は、小さな煙が、そこから立ちのぼっていることに気が付いた。小さな火が、ドアの近くに見えた。
それが何であるかもわからなかった。
が、進路に何かがあったことに気が付いた。何か機械的なものだ。私はそれを踏みつけたらしい。それが燃料漏れによって、今、燃えているところなのだ。
その上を。もう一度、踏んでいた。消そうと思った。だが、火が燃える勢いには変化がなかった。むしろ逆の効果があった。フリップ・フリップの靴の裏側が、充分な空気をそこに供給したのだ。一陣の突風が吹いた。炎の舌が長くなった。けれども、小さな黒い点の他には、何もそこには残っていなかった。
しかし、ポーチの端の方を見ていると、そこに何かの種類の飛行機らしきものが、着陸していることに気が付いた。ポーチの端は、垂直の崖である。いかなる車両も、そこを登攀することはできない。
私は肩をすくめると、その場所を離れた。汚れたフリップ・フロップをドアマットの上に脱いだ。階段を上がって行った。
「メリー?」
「マム?外にいるのを見ていたわ。何か新しいことが分かった?」
「いいえ、あなた。私たちが、大きくなったか、それとも、世界が小さくなったということだけ。何が起こったにしろ、私たちにとって、故郷は、なくなったも、同然だわ。川の一部分もね。川が、芝生の一部を濡らしているの。水たまりを作っている。私は、川の残りと、その部分の間に溝を掘って、ふたつを、つなげて流して来たわ」
そうなのだ。良いニュースは、水があったということだけだ。
悪いニュースは、食料がないということだ。
小さな世界で、何かが見つかるとは、想像できなかった。
「ともかく、あたしは、まだ、お腹が、空いていないわ。マム」
「嘘おっしゃい。あなたは、私の気分を、楽にしたいと、思っているだけなんでしょ?」
「本当に、お腹が減っていないの。マム。でも、もっと話してちょうだい。外は、どんな感じだった?」
「何が?」
「芝生を出てからのこと。ちっぽけな世界に出てからのこと。話して!」
「そうね」
私は、肩をすくめた。メリーは利発だった。隠し事はできない。
「特別なことは、何もなかった。砂場とか、何かそんなものの中を、歩いた感じ。山々でも、とても柔らかなの。多分、私は、何件かの家の上を踏み潰したと思う。でも、足跡を残して来ただけ」
彼女は、私を見つめた。
二人ともに、私が嘘をついていることが、分かっていた。
「わかったわ。私は、何件かの家を踏んだ。私は、足元を見てもいなかった。もしこのすべてが現実ならば、私は、多くの家々を破壊したのだし、それによって、人々の命も巻き添えにしたのだと思う。でも、望んで、そうしたのではないわ。いつものように、一歩、歩いただけ。裏庭を、散歩したのと同じ。あなただって、次の一歩を下ろす時に、足元に蟻がいるかどうかなんて、気にしないでしょ」
「ううん……クールだわ」
「そうね。わからないわ。少なくとも、私は、その時に、何も感じなかった。でも、あなたが、十分に経験を積んだ年齢になっているのかどうか、わからない。後悔するかもしれない。残りの人生すべてを、謝罪の気持ちを抱いて、生きることに、なるのかもしれない」
「マムが言うのは、あたしを幽閉するってこと。そんなことはできないわ!何も悪いことしていい。マムと同様に、この家から出る権利が、あるはずよ」
「落ち着いて。あなた。もちろん囚われの身にするつもりはないわ。私が言いたいのは、どうしても必要になるときまで、この家を出るべきでは、ないってことだけ」
「それって、同じことだわ」
「同じことだとしても、私はあなたに、小さな人たちすべてのことを、考えてもらいたいの。もしも、外に出れば、彼らを殺すことになるのよ。気がつきさえしないかもしれない。けど、頭では、理解しているわ。人殺しになるのよ。無垢な人たち。男も、女も、子どもも、彼らの飼っているペットたちも。いいえ、今、答える必要はないわ。部屋に閉じ込められているわけではない。自由に外に出られる。でも、少なくとも、これから三十分間、この問題を考えてもらいたいの。それから、考えていることを、私に話してちょうだい」
彼女はため息をつくと、ベッドにもぐりこんだ。
私は部屋を出た。
ポーチでの経験は、私を深く悩ませていた。少なくとも、飛行機一機を見つけたのだ。それは、ドアの近くに着陸していた。なぜか?
答えは明らかだ。
このすべてが、幻影ではない。奇妙な夢か何かそんなものだと、ごまかすことはいかない。それは、現実なのだ。そして現実の世界では、政府が活動している。もしも、巨人の家の下になって、何エーカーもの国土が、蹂躙されたとする。彼らが、それを許容するはずがない。必ず、全力を挙げて排除にかかる。そして、敵を倒すためには、まず敵を知ることである。情報を集めることだ。
それは、軍隊の任務である。
偵察隊が派遣されたか。
私は階段を駆け下りた。キッチンに飛びこんだ。窓を閉めた。それから、階段を駆け上がって、ベッド・ルームでも、同じことをした。メリーに声をかけた。彼女の部屋でもそうするように。彼女は、とてもクールだ。すでに実行していた。
「もう閉めてあるわ。マム。飛行機を、家の中にいれたくないもの。あたしの部屋を、小さな人間達にスパイされるなんて、絶対にいやだわ!」
この少女は賢い。信頼していた。
少し考えてから、私はキッチンにもどった。そこで、排気のためのフードについている換気扇をしめた。それから、バス・ルームの換気扇も。最後に暖炉の煙突の内部の弁を閉じた。
こうしたとしても、家は密閉されているのではない。私にも分かっている。しかし、これで、少なくとも、その内部への侵入を、さらに困難にすることは、できたはずだ。
しかし、数分後、彼らは、<言うは易く行うは難し>という事実を、思い知らせてくれることになる。
私はソファに寝ころんで、リラックスしていた。次々と頭に浮かんでくる不安を一掃しようと、虚しい努力をしていた。
もちろん、政府が何事かを、私たちに仕掛けてくることは、確実だ。今、この瞬間にも、私たち二人の動向は、外部から監視されている。赤外線暗視装置とか、何かそんなもので。
私には、自分の財産であるこの家を、手離す気はない。ごく平均的な間取りの住宅。二階建て。ベッド・ルーム三部屋、リビング・ルーム、バス・ルームは二カ所、キッチン付き。前庭には、駐車場があるが、車はない。売り払ってしまった。芝の生えた裏庭には、パティオ形式のポーチがついている。祖父母の時代から、ここに住んでいる。
もし、その財産を奪うたぐいの干渉をされるならば、私は、まっすぐに外に飛び出して、多くの家々を踏み潰してやる。その件について、彼らに疑いを持たせてはならない。
私だって、現実である。私は居場所を離れるつもりはない。しかし、私には身を守ってくれる者はない。
私は、国家の敵である。メリーも、敵である。
その時、メリーが階段を下りてくる足音を耳にした。私はソファの上を動かなかった。彼女は、背後から歩いてきた。私の顔を見なかった。私も彼女の表情が読めなかった。彼女は決定を話し始めた。
「マム?今度のことを、ずっと考えて来たの。双眼鏡で外の風景を眺めたわ。とってもリアルに見えた。自動車が走っているの。人間の姿も見たと思う。もし、目を覚まして、地平線に巨人の姿を見たら、とっても怖がると思う。彼らは、本当に恐怖していると思う。特にマムが、外界でしでかしてからは、なおさらそうよ。敵と判断したはず。あたしたちと戦おうとするはずよ。そして、もし、彼らが戦うつもりならば、あたしには、彼らのことを心配してやる必要なんて、何もないはずだわ」
私は、ため息をついていた。
「わかったわ、あなた。私は、彼らがまだ実際に、戦いをするつもりでいるのかは、分からない。しかし、あなたの判断が、正しいかもしれない。まだ何か方法が、あるのかもしれない。そう考えるのであれば、その判断に基づいて、行動して構わないわ」
「マム。あたしの計算では、私たちの身長は、1マイル(約1600m)に達するの。でも、世界は、まだあまりにも広いわ。この惑星全体に棲息する、人類すべてを打ち負かすためには、一生を必要とするでしょう。だから、最も適切な対応は、自分たちの領土に引きこもって、彼らの存在を無視することだと思うの」
「おそらく、あなたが正しいのでしょうね。少なくとも、私たちは、この状況を有利に進展させることができるまで、時間を稼ぐ必要があるわ」
「ええと、マム。それには、そんなに時間がないと思うの。何か、音がしない……」
私もメリーの後を追った。フロント・ドアの方に向かっている。実際、私の耳にも、何か音が聞こえた。柔らかい羽音。自分が動くたびに、音源も移動する。柔らかくなっていく。音のする方角を探す。メリーの視線を追いかけていく。ドアの前の床上に、何かを見ている。
その物体は、一匹の蝿ぐらいだった。その羽音からしても、適切な表現だと思う。私はその前に、しゃがみ込んだ。眼球の焦点があった。小さなヘリコプターだ。着陸している。まだローターを回転させている状態だった。音は、そこから来たのだ。
カモフラージュのための迷彩柄は、白いタイルの上では、おそろしく目立つ。軍隊は、すでに侵入していたのだ。おそらくドアの下の隙間が、その侵入経路だ。
「こんにちは。お待ちしていたわ。でも、あなたたちは、個人の敷地内に、無断で立ち入っていることになるのよ。あなたたちに、自分たちが、なぜここにいるのかを示すために、五分間の時間の猶予を、与えてあげる。耳でも、目でも、私に分かる方法で、示してちょうだい。あなたたちが、追い出される前にね」
メリーが近くに寄ってきた。かしこまることなく、お尻を落として無造作に脇に座り込んだ。
「やつらは、どうやら機内から、外に出るつもりみたいよ、マム」
ほんとうに機械の内部から出てくる、小さな人間達を、黙視することができた。もちろん、私たちは、それらが、人間であるということは分かっていた。議論する必要もなかった。だが、彼らは、あまりにも小さかった。私に見ることができたのは、何かの点の動きだけだった。彼らは、何かの行動に出ようとしているらしい。その見当がついただけだった。しゃがみこみ、あるいは座り込む態勢で、観察していた。
「手を振っているんじゃないかしら。マム」
「あなたの方が、目がいいわ。メリー。あたしには、見えないもの」
「いいわ。説明してあげる。両腕を振り回している。注目して欲しいみたい。でも、見られていると、気が付いてもいいのになあ。おっと。うふふ。両手を耳にあてがっているわ……」
メリーは、喉で笑った。私も微笑していた。けれども、招かれざる客の行為には、何の新たな進展もなかった。注目しているのに何の変化もない。
「メリー。家の中を、見て来てくれない。これは、ある種の囮作戦じゃないかしら。あまりにも、あからさまに過ぎるもの」
メリーは、だまって立ち上がった。
男たちは、――私が、そう想像しているというだけのことなのだが――ヘリコプターを中心に散開していった。しかし、スタジアム用のスピーカーや、何かそんなものを携帯している様子は、なかった。
私は、さらに数秒間を待った。
彼らが自分自身の体で、何かの模様を描き出そうとしているのではないか。そう思ったのだ。文字か、何かそんなものだ。しかし、彼らは、無意味な動きをするだけだった。
それで、私の方から働きかけることにした。彼らに笑顔を向けた。それから、手を延ばした。
機体から、もっとも距離を置いたところまで、移動している男に人さし指を向けた。微笑しながら、指を彼の上に乗せた。白いタイルの上で磨り潰した。
彼は赤い染みになっていた。
他の兵士たちはパニック状態になった。それから逃げ始めた。私は彼らがヘリコプターの所まで、戻ると考えていた。間違っていた。ばらばらに散開して行く。出来る限りの速度で。
そう。充分に鍛錬された男は、短距離であれば、一秒間に10m。より長い距離であっても、一秒間に7mを走破できる。しかし、彼我のスケールの相違によって、速度が哀れにも1/1000にまで低下してしまっている。私が言うのは、彼らは一秒間に、1センチしか走れないということ。
見下していることに、飽きてしまった。物憂げに立ち上がる。彼らの上に片足を乗せた。素足の裏は、簡単に全員を覆い隠した。何か柔らかい物が、足の重量の下に消えた。そうとしか、感じられなかった。ヘリコプターも、いっしょに踏み潰した。砂一粒を踏んだ感覚しかなかった。
一人のラッキーな生存者が、土踏まずの下から、這い出して来た。私は床から踵を持ち上げた。そして、タイルの上で足を滑らせた。彼を巻き添えにした。赤い染みが、またついた。その時に、足の指の隙間から、もう一人の生存者が零れ落ちた。しかし、それは、足指の上だった。彼もまた、結局は、他の者と同じ道をたどった。赤い染みを残しただけだ。
「メリー?結局、私たちを騙すための、囮だったみたい。爪先を立てて、歩きなさい」
私もリビング・ルームに入った。煙突の内部の蓋が、もっとも防御の弱い部分である。そう見当がついた。正解だった。暖炉に一歩を踏み出した。ヘリコプターが、煙突を下降してくる。あの特徴のある羽音を聞いた。
声に出して笑った。
爪先で一回弾いた。それだけで、空中に火の球を生み出していた。
「やったわ。メリー。一匹、片づけたわよ」
そう、真実は、こうだったのだ。あなたたちにも、私たちが、本当は最初の段階では、訪問者を歓迎するつもりであったということを、理解してもらいたい。しかし、この部分を続ける前に、今の私たちの生活について言及しておきたい。
結局のところ、全世界は、以前にそうであったよりも、遥かに平和な世界に変化したと思うのだ。
第1章 了
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