試運転(第四 ・ 五章)

                     作 だんごろう

----------------------------------


第四章:逮捕

舞の事件は、傷害致死事件として、県警に大掛かりな捜査本部が置かれ、すぐさま捜査が始まった。
目撃情報や、家族、当日に行っていた友達からの聞き込みによって、終電で自宅の最寄駅に着き、そこから、自宅に向かう途中で拉致されたと断定された。
犯行現場となった山中までは距離があるため、その移動手段として車が使われたと推定され、その目撃情報を集めることに、捜査本部としても労力を費やしていた。

一方、犯行現場も綿密な調査が行われ、そこから犯人と思われしき精液が発見された。土にしみこみ、微量だったが、血液型の判定や、今後、犯人逮捕の決め手になるDNA鑑定が可能になった。

一般メディアはそうでもないが、一部の週刊誌では、猟奇殺人事件として、かなりセンセーショナルな記事も出ていた。
ただ、人の話題になるほど目撃情報は出易くなる。
当日の夜に、駅のロータリーで、荷室に杭の束を積み込んでいた不審な白いライトバンを見かけたとの情報が出てきた。

捜査本部は、白いライトバンに捜査対象を絞り、その車の特定をするべく、徹底的な聞き込み捜査を行っていく。
そして、犯行から十日目だった。付近でダム工事を行っている土木会社が所有する車が、それに該当することが判明した。

さらに、関係者の証言から、その頃、杭の束をライトバンの荷室に入れていたことも、その夜に、雇っていた作業員が勝手に車を持ち出していたことも分かった。
捜査本部は、その作業員を重要参考人としたが、当夜に車を勝手に使ったことで、犯行のあった翌日に土木会社を首になっており、どこにいるかまったく判らなくなっていた。

重要参考人の名前は、黒部 武。年は36歳、地方出身者で現在は住所不定。
実家には両親は健在だが、既に、勘当の身で、親子の縁は切れているとのこと。

また、車の中を綿密に調査した結果、助手席のシートから女性の髪が発見され、DNA鑑定の結果から被害者の舞のものであることが判明した。

証拠があったことで、重要参考人は、容疑者に変わった。
すぐさま、全国に指名手配が掛けられると同時に、日雇い労働者やホームレスが生活している場所を重点的に、黒部の行方が捜査された。

それから、一週間後に、黒部らしき人物がいるとの情報あり、それが決め手で逮捕となった。

さらに、逮捕後の警察の尋問により、過去に、風俗店の女性から性器の小ささを蔑まされたことを根に持ち、その女性を殺す目的で、その店を放火していることも判明。その放火では、店の客を含めて、3名が犠牲になっていた。

そして、裁判が始まる。
反省の色が見られない黒部に対して、情状酌量の余地無しとされ、裁判の短期化もあり、半年後には、求刑通り、死刑として結審された。

尚、週刊誌で、黒部の生い立ちを紹介しているので、それを抜粋しておく。

二人兄弟の次男として、生まれている。
子供の頃から体が大きく、ガキ大将的な存在だった。
中学を卒業後には、小さな頃からの夢であるプロレスラーを目指し、プロレス団体の研修生となる。
元々、素質があったようで、めきめきと頭角を現し、17歳から前座に出るようになり、19歳で念願だったアメリカ修行が決まった。

身長は175センチ。あまり高くはないが、地力があり、身長の割には重い身体だった。

アメリカのプロモータからの要請で、顔つきが厳つく若くて元気が良い黒部は、悪役レスラーとしてデビューをすることになった。黒部自身は、アメリカで悪役でも良いから名を売って帰ってくれば、一流レスラーになれると思い、自分の夢に近づく気持ちでいっぱいだった。

だが、その矢先にスナックのママを相手に傷害事件をおこしてしまった。
プロレス団体としても世間の目がある。前科者を置いておくことはできなかった。
刑務所から出所後、以前のプロレス団体に行ってみたが、だれからも相手にされなくなっていた。
生きる目的を失ってしまい、残るのは性器が小さいというコンプレックスだけで、それが元でトラブルが絶えない生活を送るようになっていった。
その挙句の果てに今回の事件を起こし、死刑が決まったのだ。

ただ、死刑が決まっても、刑の執行には手続きが必要で、法務大臣の許可もいることになっている。通例、その許可がなかなか下りない。
そのため、死刑囚は、自分の刑がいつ執行されるのか、その呼び出しの瞬間まで分からない。
夜寝るときに、今日は刑の執行がなかったと思いながら寝るだけである。



第五章:彩の行動

舞の葬式が終わり、彩の生活も普段通りに戻っていく。
ただ、黒部の裁判だけは、注意深く見つめていた。
死刑の判決は当然の報いと思っていた。だが、簡単に縛り首で済ませてしまうことに釈然としないものを感じていた。

彩は、あの物体縮小機の人体実験で使われた人間も、恐らくは、死刑囚であったと思っていた。

あの時、虫のように小さな男は、彩の手の中で少しずつ壊れていった。
恐怖に怯えながらも、手の中から逃げることもできなかった。
指の先にぺたっと座り込んで、恐怖に震えていた小さなコビト、
彩の思うがままに、それを受け入れるしかないコビト。

“黒部、あなたにそれ以上の恐怖を与えてあげる。それ以上の苦痛を与えてあげる”
“「いっそ殺してくれ」と言うくらいに、追い詰めてあげる“
黒部を自分の手で復讐する。彩はその思いに取り憑かれた。

世の中には、巨大な女性に玩ばれたいと願う男が大勢いることを知っていた。
“お店”を作って、そこに、そんな男達を集めて、物体縮小機で縮めて、そのコビト達との“あそび”をする。それを彩は夢見ていた。
でも、それは、所詮は夢だった。できないかも知れないと思っていた。
だが、復讐は別だった。それは、やり遂げなければならないものだった。

彩は、自分自身に舞の復讐を誓い、決意する。
“私は、獲物を執拗に狙う女豹になる。そして、その獲物は黒部”
その決意の元、彩は、実際に行動をおこしていった。

名前を隠し、政府が管理する物体縮小機を手に入れるために、裁判を起す。
そして、その裁判を戦い抜き、勝利を得た。

しかし、実際に物体縮小機を手に入れることは、彩、一人では不可能なことだった。
やはり、同居している彼の援助が大きかった。
だが、その彼には、復讐の話はしていない。自分の夢のために、物体縮小機が必要だと言っていた。

彼は、彩の夢を実現するのが、自分の夢だと思っている。
彩は、その彼に、復讐が一番の目的とは言えなかった。

だが、裁判に勝ったことが、彩自身を変える転機ともなった。
何より、物体縮小機を持つこと自体が、自分の夢の実現に近付くことになるからだ。

彩は、自身の夢を実現させることを考え始めた。
しかし、その障害は大きかった。
意識的に、叉は無意識に潰してしまうコビトを社会的に処理できないのだ。
法律がネックだった。彩の夢を実現するには、この国を変える必要があった。

それでも、彩は、夢の実現を真剣に考えるようになっていく。
そして、一つ一つの問題点を克服していった。


裁判には勝ったが、例の政府系の研究所が、彩の縮小機を作ってくれる分けではない。
相応の対価を支払うことで、図面や仕様書は提供されるが、作るのは民間のメーカと決められていた。
そのため、物体縮小機の製作を引き受けてくれるメーカを探す必要があった。
社会的に問題が多そうな機械であり、当初、受けてくれるメーカがいるか不安があったが、これは意外にすんなりと決まった。
たまたま、ある大手の重工業メーカの会長が、同居する彼の知り合いで、前後の事情を理解した上で、引き受けてくれたのだ。さらには、そこの会長自身がバックにいることが、物体縮小機を作る上で、色々と助けになってくる。彩の我侭も通るし、なにより秘密を守る面で良かった。

彩の要求に従い、物体縮小機を開発した政府系研究所から、その重工メーカに機械の仕様書と図面が渡され、その製作が始まった。また、お店自体は、そのメーカの紹介で、同系列の建築メーカへ依頼することになった。

しかし、そのお店の立地条件で、ネックになったことがあった。
物体縮小機を稼動させるためには膨大な電力が必要で、その電気の供給が可能な、高圧電線の近くにお店を建てることが条件になっていた。また、機械自体が大きめの町工場ぐらいあり、それを含む店を建てるには、広い敷地も必要となっていた。
駅の側にお店を建てる事は到底無理だった。この点はある程度諦めて、お店の場所を決めていくしかなかった。

ただ、土地については、ほどなく、私鉄の駅から無理すれば歩ける距離にあった専門学校の跡地が見つかった。さらに、その敷地の一角には高圧電線の鉄塔も立ち、条件的には問題はなく、そこが建設予定地になっていく。
こうして、彩の夢の実現に向けて、店作りが着実に進み始めていった。

残った問題は、お店で潰してしまったコビトをどのように社会的に処理させるかであった。

ただ、世の中の風潮は、彩の夢の実現に向けて、追い風になるべく変わってきた。
ひとつは、依願自殺が一定のルールに従うことで、認められていた。
また、もうひとつは、社会全体の個人主義、契約社会への移行である。

そのルールの拡大解釈で、コビトを潰すこと自体に問題はないと推測されたが、その死体が自由にならないのだ。死亡証書としての死亡診断書が必要で、そのために潰したコビトを医師に渡さなければならない。
コビトをトイレに流せば遺体はなくなる。ハイヒールで踏めば靴底の泥に混じる。飲み込んでしまえば何も残らない。到底、医師に渡すことは不可能だった。
さらに場合によっては、死体損壊罪や死体遺棄罪の適用を受けかねない。

一人や二人ならば、これだけ複雑な世の中であるから、行方不明者として扱わられるだろが、度重なるとやはり目立つ。何らかの社会的制裁を受ける恐れが出てくる。
だが、ただ手を拱いても、事態の変化はなく、その問題は永遠に残ってしまう。
それを打破するために、彩は、マスコミに出るようになっていった。

できるだけ、センセーショナルにデビューを果たした彩は、その容姿の美しさもあって、よりマスコミの中で際立つようになった。

また、たくさんのファンレターが届くようになった。
大概、それには、食べて欲しいとか、彩の身体の様々な部分で潰してほしいとか書かれていた。
思わず笑ってしまう内容だったが、お店ができたら、楽しくなりそうな予感が強まっていった。

“広く世の中の人に、「アヤ」の強烈な印象を埋め込む”
これは、彩の計画の中では、第一歩目だった。そして、先ず先ずの成功だった。

もちろん、彩は、黒部のことを忘れたことはなかった。
その復讐の炎は決して消えることなく、彩の心の中で燃えつづけていた。

また、その頃、縮小機を開発した研究所の若い所員が、自分の身体を小さくして、彩宛に送ってきたことがあった。

1センチちょっとの身長。とても小さかった。
指の上に乗せてみた。その指に捕まることもできなかった。
彼女の指先の上で、腹ばいになって、両手を広げて、必死に落ちないようにしていた。

そのコビトは、手紙で、わが心とわが身の全てをアヤに捧げると書いていた。
その気持ちは嬉しかったが、その身体はあまりにも小さすぎた。
目の前に持ってきて、顔を見ても、どのような顔をしているのかも分からない。
向こうは、彩が言っていることを多少は分かるようだが、彩にはその小さな身体から出る声は聞こえなかった。会話もできなかった。

所詮、コビトはコビトで、“あそび”の対象でしかない。それ以上の存在には決してなることはできなかった。彩に玩ばれるだけの存在で終わることが、その小さな者の運命だった。
最後は、アクシデントの面もあったが、蟻のように踏み潰した。

でも、彩自身の中には、一定のルールがあった。
嫌がる者を無理に縮めて、その身体を玩ぶつもりはなかった。
だから、お店を作り、巨大な女性に憧れる男達を集めることを考えたのだ。
合意の上でその身体を小さくする。それが、彼女のルールだった。

そして、妖しげな“アヤ”のイメージが世の中に広がった。そこで、彩は、自身が作り出す“アヤ”のイメージを変えることにした。
いよいよ、世の中を変えていく、その第二段階に入ったのだ。

それまでのセクシーさを抑えるように、メイクアップと衣装を変える。
言う事も、過激なことを避け、一般的な良識を前面に出すようにしてくる。

第二段階で、彩が狙う「アヤ」のイメージは、聖母マリア。
慈愛に満ち、芯の強い優しさを持つ女性像だ。

ただ、急にイメージを変えたわけではなかった。
テレビを見ている人がその変化に気付かないように、巧妙に少しずつ変えていった。
そして、その変化に従って、世間の彼女への好感度は上がってくる。
気が付けば、彼女のイメージは、セクシーで野心的な女性から、優しさを持つ理知的な女性に変わっていた。

彩はマスコミで喋る。
「この世の中には、とても不幸な人達がいるの。
巨大な女性に憧れてしまい、その虜になってしまった人達。
決して、実現しない夢を持って、その夢の中でしか生きていけない人達なの。
 そして、わたしは、その人達の夢を叶えて上げたいの」

彩は、聖母マリアのようにとても優しい笑顔を浮かべて、その話をする。
世間の人は、縮小願望や巨大女性へのフェチを理解すると同時に、彼女がやろうとしていることが、とても慈愛に満ちているものに思える様になってくる。
“彼女は聖母マリアのように、小さくなった男達に接してくれる”
それが、世間が彼女に持ったイメージである。

もちろん、彩は、全て嘘を言っている訳ではない。
彼女自身にも小さな男達に優しく接したい思いはある。
ただ、コビトと接すると、心の中に悪魔が忍び寄ってくるのだ。
“その小さな身体が、わたしの心を変えてしまうの”
彩は、自分ではコントロールできないことだと思っていた。
だが、小さな身体を見下ろしながら、悪魔が心の中を占めていく時のうっとりするような快感にも魅了されていた。

彩の狙いは成功し、彼女のイメージは“聖母マリア”で定着してきた。
さらに、若い男を中心に、盲目的な宗教に近い動きが起こり、アヤは生きている御神体な存在に祭り上げられる。

また、高名な法学者が旗振りをして、「夢現の会」が発足される。
この会は、彩の夢を、この世の中に実現させることを目的としていた。
たくさんの法学者、インテリ層が、その会に名前を連ねるようになった。

「夢現の会」は、発足直後から活発な動きをしていった。
その動きの中で、テレビでの24時間討論会が計画された。
「夢現の会」及び、それに反対する法学者、アヤを崇める若者、インターネットで発言する一般視聴者、それにアヤ自身を含めて、24時間、結論を目指して討論をすることになった。
討論会のテーマは、「コビトの夢は叶えられるか?」で、アヤの夢の実現性について賛否を問い、さらに、実現可能ならば、その具体的手段を結論することになっていた。

討論会が始まる。まず、討論者全員がテーブルに着く。
澄んだクラッシック音楽が流れ、ゲスト用の入場口にスモークが焚かれる。
カメラマンは、その入場口を下側から狙う。
スモークが薄れ、その中から白いケープを纏ったアヤが出てくる。
カメラは、彼女の足元から、その全身を映していく。歩くアヤの身体に白いスモークが身体にそって流れる。テレビに映る彼女は、まるで、雲を身体に纏わりつかせて歩く巨大な女神に見えていた。

そして、席に着いた彼女は、とてもゆったりと優しそうな笑みを浮かべる。

結論は、討論が始まって、すぐに見えてきた。アヤに反対を表明していた法学者のほとんどがアヤの美しさに酔い、反対意見を言うどころか、その夢の実現に向けた助言までし始めてしまった。
それでも、一人の女性の法学者が反対意見を言い続けたが、最後は司会者に無視されるまでになっていった。

テレビの視聴者も含めて、その討論会に参加しているほとんどの人が思う。
彼女は、聖母マリアのように、コビトに接するだろう。そして、コビトの夢は叶えられる。
なぜなら、彼女は女神であって、そうなるべく地上に降臨してきたのだ。
もし、コビトが、その身体のまわりで潰れていったとしても、それは、彼女の責任ではない。小さなコビト自身の責任であり、また、女神の身体によって潰されることが、コビトに取って不幸なことは思えない。

男達は、女神に尽くす事を厭わない。
参加している法学者を中心に、この世のシステムの中で、それを如何に正当化していくかが議論されていった。
そして、最終的な結論が出される。それは、概ね、次のようなものだった。
身体を縮小し、女神であるアヤとのプレーを望む者は、遺書と縮小自殺依願書を記入し、簡易裁判所に持ち込む。裁判所で、その書類の審査を行い、問題がなければ受理し、仮の死亡証書を発行する。
それを持って、アヤの店に行く。店側は、その書類と、本人であることを免許書等で確認をしてから、縮小機に掛けて、希望する縮小サイズでプレーに入る。
もし、プレー中に不幸な事故が発生し、コビトが帰らない人になった場合、彼女又はその代理人が役所にその証書を提出する。役所では、その証書に基づき、その個人の戸籍を死亡として抹消する。さらに、潰れきったであろう死体に関しては、紛失扱いで処理される。
また、書類が全て裁判所に提出されているため、その家族がアヤを訴えたくとも裁判をおこすこともできない。

こうして、コビトに何があっても、彼女が裁かれることがないストーリができあがった。

また、「夢現の会」はこれを契機に、アヤを女神として崇めていた若者達も会員になり、飛躍的に会員数を増やしていく。

だが、その討論会での結論を実現するためには、やはり一部の法改正が必要であった。
しかし、国会議員にもアヤのファンが多く、さらには、「夢現の会」のメンバーによる活発な活動もあり、翌年には、その法改正も行われた。

完璧だった。これで、彩は、自分の足元でウロチョロするコビトをどのようにでもできるようになったのだ。

その矢先である。彩に、嬉しいニュースが飛び込んできた。
彼女の物体縮小機の仮組みが終わったとの連絡だった。

建物よりも先に物体縮小機を作ることが決まっていた。
物体縮小機は大きく、それを内部に含む“店”は、当然、さらに大きくなる。
初めて、その店の図面を見せられ、説明を受けた時に、その不恰好に大きい店に彩は失望し、それに納得できなかった。
そうなった理由のひとつに、物体縮小機を請け負った重工メーカ側の理屈があった。
まったく新しい機械であり、建物内に据え付けてからも、稼動に向けた各種調整が必要で、そのメンテナンスエリアを確保するために、装置周りの空間が必然的に大きくなっていた。
彩は、そのエリアを認めない代りに、重工メーカ内で、仮組みし、十分に調整してから、それを建設予定地に持ち込むことを提案した。
機械を据え付け後に、建物を作り始めるので、工期は延びるが、店自体はずっとスッキリとする。その考え方に従って、工事が進んでいた。

そして、今、物体縮小機の調整も含めた仮組みが終り、試験運転が可能になったのだ。

***

彩が住むマンションの一室、これから夕方になる時間。
彩と、彼がリビングルームにいる。

彩は、下着の上に、パジャマ代わりの長めのTシャツを着て、ソファに深く座っている。
その対面には、彼が散歩程度のジョギングから帰ったばかりのジャージ姿で座っている。

彼も、彩の店の進捗状況について、あまり積極的に話題にしないが、やはり気に掛かっている。
「彩、店の方はどうなのかな?」
「え?何が?」
「いや、進捗具合はどうなのかって思ってさぁ」
「そうそう、ポチねぇ、縮小機の仮組みが終わったのよ」
「そうかぁ、それで?」
「動物実験では成功したって連絡があったの。でも、人体実験はまだなのよ」
「えっ、人体実験をやるのか?」
「そうよ。将来はお客さんを取るのよ。やらない訳にはいかないわ」

彩は、彼の顔を覗き込むように、続けて話す。
「ねぇ、ポチ、志願しない?小さくなったポチを可愛がってあげるから」
彼は、慌てて、「い、いや、とりあえず、今は遠慮しておく」。

彩は笑いながら話す。
「そうよね。ごめんね。大事なポチを人体実験にはできないわよね。ウッフフ、ポチはもっと後よね」
さらに続けて、彩は話す。「ところで、ポチ、お願いがあるの」
彼は、“どうやら人体実験は、俺でなくて済みそうだ”と、ホッとしながら、彩の話を聞く。
「うん?」
「人体実験だけどね、もう縮める人間は決めてあるの。黒部という死刑囚。彼を実験材料にしたいの」
彼は、彩がいきなり名前を出してきたので、ちょっと驚く。
「どうして、そいつなんだ?」
「女の敵ってところかなぁ」

数年前に若い女性が殺された事件を、彼は思い出した。
“その時の犯人が・・・確か黒部だったよな。そうかぁ、女の敵、そうだよなぁ”
「分かった。その死刑囚の手配をすれば良いんだな」
「さすが、ポチ、察しが良いね」
「そりゃ、彩と長く暮らすと、それくらいは分かるようになるさ」
彼の言い方が可笑しかったのか、彩が笑った。
「じゃ、お願いね。これはご褒美」
と、テーブルの上に身を乗り出して、彼の頭に手を添えて、その頬に軽く口付け。
偶然に、彼の肩が、彩の豊な胸に触れ、その感触が伝わる。彼は、思わず生唾を飲み込む。

彩は、顔を離し、彼の目を覗き込みながら、「さぁ、ポチ、善は急げと言うでしょう。早くお願いね」と、彼を催促する。

彼は、携帯を取り出し、例の政府関係者に電話をしようとしたが、目の前に彩がいる。やはり、男同士の話を彩に聞かれることに抵抗があった。
彼は、長いすから立ち上がると、電話を掛ける為に別室に行った。

彩は、ソファに座り、窓の外を見ている。
暮れていく夕焼けが、辺りのビルを赤く染めていた。
その景色から、あの日、舞が亡くなった日に仰ぎ見た、夕焼け空に滲んでいた病院を思い出す。

やはり、これまでの道のりは長かった。
途中で、何もかもが嫌になり投げ出したい時もあった。
だが、舞を殺めた犯人に、自分で復讐する決意を胸に進めてきたのだ。

「舞ちゃん、ようやくあなたの復讐ができるの。舞ちゃん、もうすぐよ」



目次へ戻る 「夢(試運転):前章へ」 「夢(試運転):次章へ」