性的な描写があります、ご承知の上でお読みください。

 《 ミミちゃん 》 前編

               文 だんごろう
               イメージ画像 June Jukes

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前編
第1話:ミミとの出会い
第2話:グッフフ、ユイへの仕返しだ!
第3話:え!?ハワイ旅行!
第4話:俺は、ミミの命の恩人
第5話:俺・・死んじゃうの?(前編)
第6話:俺・・死んじゃうの?(後編)
後編
第7話:『気』は、気持ち良いの気?(前編)
第8話:『気』は、気持ち良いの気?(中編)
第9話:『気』は、気持ち良いの気?(後編)
第10話:待ってくれ・・・ミミちゃん!
第11話:さよなら・・・ミミちゃん(前編)
第12話:さよなら・・・ミミちゃん(後編)
最終話:月並みなラブコメ





第1話:ミミとの出会い

そもそもの始まりは、妹のユイが、猫なんか拾って来たからだ。

予備校から帰って、家に入った途端、キッチンからユイとお袋の声がしていた。おまけに「ニャ〜ン」と言う生き物の声が・・・!
俺は、大の猫嫌い。あんな生き物が世の中にいることさえ信じられない。毛むくじゃらなのはまだ良い。許せる。許せないのは、あの目!瞳が細くなったのを見た瞬間、ぞぞぞって、鳥肌が立ってくる。
それにあの泣き声。夜中に、家の周りで、「ニャ〜ン」と鳴く声を聞くと、猫と魔物が会話している気がして、思わず、布団を頭から被ってしまう。
あれは不吉な生き物だ。猫を殺すと七代祟るって言うけど・・・あれ・・・三代だっけ?
まぁ、それはどうでも良い。やつらは、人間に害をなすものだ。そうだ、そうに決まっている。

その呪わしい生き物の声が、その時、キッチンから聞こえたのだ。
俺は、恐る恐るキッチンを覗いてみた。
“いた!”
あの不気味なものが、ユイに抱かれていた。

あの生き物は人間を、“あら、このネコ、かわいい”と洗脳させる力を持っている。そして、お袋とユイは、その魔力に既に掛かっていた。
「ねぇ、ママ、このネコ、飼っても良いでしょ?」
「でも、ユイちゃん、このネコ、首輪してるから、どこかで飼われているネコよ」

飼う?ネコを?俺に取っては、ありえない話を二人はしていた。
「だけど、この子、家の前でミャ〜ンって寂しく鳴いていたの。だから、きっと迷子なのよ。可愛そうな子なの・・・。じゃ、飼い主が見つかるまで、それまでなら、どう?」
「でも、ユイチャン、お兄ちゃんは大のネコ嫌いでしょ。無理よ。無理」
そうだ、お袋、その通りだ。さすが、俺のお袋だ。良いことを言う。
「じゃあ、お兄ちゃんが良いと言えば、この子、家に置いても良い?」
「そうねぇ・・・どう、達也?」
お袋が、俺に気付き、そう話しかけてきた。
俺は焦った。このままでは、やつは、我が家に居ついてしまう。絶対、阻止しなければ。二人に向かって、声をあげた。
「だめだ!だめに決まっているだろ!猫なんて不潔な物を家に入れるな!」

その瞬間、ユイが俺をキッと睨み、「ちょっとお兄ちゃん、こっちに来てよ」と廊下に連れ出された。そこで、ユイが勢いよく声を出す。
「あら、昨今の少子高齢化の時代でも、大学に入れないで、浪人をしているお兄ちゃんがそんな口をきけるの?」
うっぐぐ、それを言われるとキツイ。
小さい頃は美少女コンテストで一位が確実だった妹の言葉とは思えない。

「それは、俺の志が高いからだ!良いか!来年は東大にでも入っているから・・・」
そう言ってしまったが、いくら何でも東大は無理かなぁと言葉を濁し、ユイの顔を見ると、ニコッと笑っていた。
俺は途端に寒気がした。その笑いは、やつの勝利宣言だ。そして、俺が身構える暇もなく、その可愛らしい口から、機関銃の様に言葉が飛び出し、俺の心にバチバチと突き刺さってくる。
「でも、お兄ちゃん、二浪でしょ。去年も同じことを言ってなかったっけ?もう一回、落ちたら、その次は、私と一緒に受験をするのよ。分かっている?」
さらに、言葉が続いていく。子供の時、妹よりも後までオネショが直らなかったことまで引き合いに出し、「そんなだから、私よりも後に大学に行く様になるのよ」と決め付けられてしまい、もう、心はボロボロ。

勝てない。妹に言葉で勝つのは、絶対に無理。なにしろやつは、口から先に生まれたと言う伝説を持っている。(下記の注を参照のこと)

注 お袋談 
ユイちゃんは小さい頃からお喋りが上手だったわよね。本当に口から先に生まれてきたとしか思えないわよ。(何しろユイを生んだお袋がそう言ったのだ。俺はそれを信じた)
注 おわり

念押しをする様なユイの言葉が頭の中に響いてくる。
「・・・だから、このネコを家に置いておくことにしたの。それも、飼い主が見つかるまで。それくらいの間なら大丈夫でしょ。どう?お兄ちゃん!」

俺が“浪人”をしていることと、だから“ネコを家におく”ことの因果関係が・・・だめだ、俺には分からない・・・だが、それを言えば、ユイは、二段、三段と言葉を連ねてくる。
俺は、取調室で自白を強要されている犯人と同じ気分になった。薄暗い部屋の中で、厳つい顔の刑事に裸電球を顔に向けられ、『ほら、“私がやりました”と言え!そう言えば、取調べは終わるんだ!いつまで強情をはるんだ。続く訳、ないんだぞ!』と言われ、机をバン!と叩かれる。その音にビクッとし、“無実だ、俺は無実なんだ!”と思いながらも、『はい、私が・・・』と言ってしまう犯人。それが今の俺の心境だった。
ユイを見ると、目の奥がキラリと光っている。そうだ、その頭の中では、俺を攻撃するために、たった今も、凶暴な言葉が作り出されているんだ。もう、だめ、これ以上は耐えられない。
「分かったよ。良いよ。ネコぐらい」
そう言うしかなかった。

ユイはその言葉で勝利の笑いを浮かべ、「ママ、お兄ちゃん、良いって言ってくれたよ!」と声を上げながら、キッチンに戻っていった。
俺は、その場で力なく佇む。その俺の耳に、キッチンへの開いたままの扉から、ユイとお袋の声が聞こえた。
「ねぇ、ママ、この子の名前、何にしよう」
「でも、この子の首輪に、TAMAって書いてあるわよ」
「だめよ、そんな三丁目にいる様なネコの名前じゃ。ママ、この子、女の子でしょ、それに耳が可愛いから、ミミちゃんなんて、どう?」

楽しげな会話が続いている。俺は、落ち込んだ気分のまま、自分の部屋に行くことにした。
去り際に、キッチンへの開いたままの扉に視線が向き、偶然、その中にいる、ユイが抱いているネコと目が合ってしまった。その瞬間、俺は、驚きで口をポカンと開けた。
ネコが俺の方を見て笑い、ウインクをした!

自室に向かう階段を上がりながら、“見間違いだ!ネコが笑う訳ないだろ、おまけにウインクをするなんて!”と、体が震えそうになる自分を納得させていた。

その日は、勉強に集中するからと言って、自分の部屋に晩御飯を持ってきてもらい、トイレ以外は一歩も部屋から出なかった。
その夜、ベッドに潜り込み、「は〜あ〜」と、深いため息を漏らして、俺がミミと出会った初日は、ようやく終わった。


第2話:グッフフ、ユイへの仕返しだ!

“あぁ、腹が立つ”
予備校が終わり、最寄りの駅で電車を降り、家に向かって歩いている。
そして、無性に腹が立っている。何しろ、昨日から、我が家にネコがいるのだ。

角を曲がって、家が見えてくる。いつものなら、その瞬間、“我が家に帰ってきた”との思いでホッとできるのに、今日はそうならなかった。その中に、呪わしいものが生息しているからだ。憩いの場所であるべき我が家が、恐怖の館に変わっているのだ。
これは、何かも、ユイのせいだ。あいつがネコなんかを拾って、家に連れ込んできたからだ。
そうなんだ、あいつは、何もかも俺の気に入らないことをする。少しは、兄思いになって、どうせ拾ってくるんなら、綺麗なねぇちゃんでも拾ってこいよ!・・・・あぁ腹が立つ。

そう思いながら、玄関の前に立ってドアーノブを回そうとして、鍵が掛かっていることに気付いた。どうやら、家の中は誰もいないらしい。俺は、玄関の横にある植木鉢の下から鍵を取り出し、そこを開け、家に入る。

玄関で靴を脱ぎ、まずはトイレへと、廊下を歩いている途中、ポチャン、ポチャンと水の音を聞こえてきた。
音は風呂場からだった。
“誰からが風呂に入っている?”
家の中は留守ではなかった。妹のユイが、部活で汗をかいたからと、風呂に入っている様に思えた。

頭の中に、風呂の中のユイを思い浮かべ、小さな声で言葉を吐き出した。
『あの貧乳め!』
そうだ。ユイは可愛そうなくらいの貧乳なのだ。そして、今、その貧乳が風呂の中にいるのだ。

瞬間、俺は、あいつを貶めてやる方法を思いついた。あいつを二度と立ち直れないぐらい辱めてやる方法を見つけたのだ。
『そうだ、あいは貧乳なのだ。自分でも気にしているぐらいの貧乳なのだ。グフ、グフ、グフフフフ』
止めようとしても俺の口から魔的な笑いが漏れてくる。俺の心が悪魔に支配されていく。
『グフ、グフ、グフ、グフ、グフフフフフフフフ・・・・・』

“ユイ!今こそ、兄貴の怖さを思い知らせてやる!そして、お前を俺の足元に跪かせてやる!”
俺はそう決心をして、引き戸を、音を立てない様にそっと開ける。そこは、洗濯機と洗面台がある脱衣所。そのから、中折れするタイプの浴室に続く扉がある。
こみ上げてくる笑いを押し殺し、足音を忍ばせて脱衣所に入り、浴室への扉に手をかけて中の様子を窺う。その俺の耳に、ポチャン、ポチャンとした音が聞こえる。どうやら、あいつは、湯船に入っているらしかった。

俺の計画は、浴室への扉を勢いよく開け、あいつの胸を指差し、『貧乳!貧乳!世にも稀な貧乳!』と叫んでやることだった。
『これは俺からのユイへの仕返しだ。そして、それは悪魔が!考えるような、恐ろしい計画なのだ!』その言葉が頭に浮かび、『グフ、グフ、グフ』と抑えた笑いが込みあげる。
さらに、頭の中に思いついた言葉のとっても良い部分が、エコーを効かせながら飛び回る。
『ユイへの仕返し・・悪魔が!・・恐ろしい計画なのだ!・・・・ユイへの仕返し・・悪魔が!・・恐ろしい計画なのだ!・・・』
俺は、口元に薄笑いを浮かべ、その言葉に酔いしれる。さらに、思い浮かべやすい様に、その言葉を頭の中で短縮する。
『ユイ・の仕返し・・が・・恐ろしい計画なのだ!・・・・?
ユイの仕返しが恐ろしい計画なのだ!・・・あれ?・・何か変だ?・・』
瞬間、その言葉の意味に背筋がゾッと凍りついた。そして、この計画が実行された後におこる、パラレルワールド的な別の暗い未来が見えてしまった。

まずい!これ以上、余計なことを考えると実行できなくなる。
そう危惧した俺は、計画を実行に移すべく、勢いよく扉を開け、直ぐに湯船に入っている人影の胸あたりを指差して声を張り上げた。
「貧乳!貧乳!貧・にゅ・・・・あ、あれ?・・・きょ、きょ、巨乳?」

湯面にポッカリと浮かんでいる二つの乳房は、思わず見とれてしまう程の大きさを誇っていた。
一瞬、唖然とした俺の耳に、「ニャン!」と言う悲鳴が聞こえる。
俺は、その声を出した彼女の顔に視線を移し、驚いた。ユイではなかった。両手で顔を隠していたが、短めの淡い色の髪の毛ですぐにユイではないことがわかった。

一秒の数十分の一の間に、色々な思いが、俺の頭の中を飛び交っていく。
『むかし、むかし、或る所に、出っ歯の亀吉という男がいました。その亀吉は、女風呂を覗くのを趣味していたため、最後には、警察に捕まってしまいました。それ以来、女風呂を覗き見する男のことを出歯亀と呼ぶようになりました。』
そして、俺は、とてつもなく、まずい立場になったことを直感し、慌てて、「ご、ごめん」と扉を閉めて廊下に退散した。
呆然としたままの俺の脳裏には、湯面に浮かぶ巨乳が焼きついている。だが、今、おきたことが、ラッキーだったのか、それとも、アンラッキーだったのか、自分でも分からなかった。

それにしても、風呂に入っていたのは、誰なんだ。
ユイの友達?でも、ユイは、やはり、まだ帰ってきていない。友達が一人で来て、うちの風呂に入ることは考えられない。
考えられるのは・・・・・空き巣?・・そうだ!空き巣だ!それも、風呂好きの!
俺は、武器になりそうな物を探した。だが、見当たらない。焦ったまま、新聞新を木刀の様に丸めてそれを手に持ち、そして、廊下を挟んだリビングルームのドアを開け放ち、そこの長いすの陰に身を潜めて、脱衣所への引き戸を見張った。

やがて、脱衣所からドライヤーの音が聞こえ始める。どうやら、空き巣の彼女は、髪を乾かしている様だった。しばらくして、その音が止む。いよいよ出てくると思って、俺は身構えた。

ガラ!
そう音がして引き戸が横に動き、中から、白い小さな物体が出てくる。
『ネコ!?』それは、昨日から、我が家にいる呪わしきミミだった。
そのネコは、長いすの影に隠れている俺を見つけて、「ミャ〜ン♪」と馴れ馴れしく鳴き声をあげてくる。その瞬間、俺の体は恐怖で固まった。
“ネコと目を合わせると魂が吸い取れる!3年寿命が縮む!”
慌ててネコから目を逸らし、少し開かれた扉から脱衣所の中に視線を移す。だが、そこに、人影が見えなかった。
“空き巣に逃げられた!?”
それを確認するために、固まった体をほぐしながら立ち上がり、ネコと目を合わせない様に、丸めた新聞紙を上段に構えて、ミミがいる廊下に出て行った。
丁度、その時、玄関のドアが開き、ユイが姿を見せた。学校から帰ってきたのだ。

ユイは、俺を見るなり、驚いた様に声を張り上げた。
「お兄ちゃん!何をしてるのよ!」
「えっ? 何って?」
俺は、新聞紙を丸めて上段に構えていた。さらに足元にはミミがいる。俺の視線は、丸めた新聞紙と、足元のミミの間を瞬間的に何回も往復した。そして、ハッ!とした。
俺の今のポーズは、正に、足元のミミを、丸めた新聞紙で叩こうとしているものだった。

「違う!違うんだ!空き巣がいたんだ!空き巣が風呂に入っていたんだ!」
焦って弁解を始めた。だが、ユイは小ばかにした様に声を出す。
「ふ〜ん、空き巣が・・・ねぇ、へ〜え、お風呂に入っていたんだ・・・」
妹は靴を脱いで廊下に上がり、風呂場を覗く。「お兄ちゃん、誰もいないじゃないの!」
俺も風呂場を覗いてみる。確かに誰もいなかった。それに、風呂場の窓にはアルミの格子がはまっていて、そこから逃げることは絶対に不可能なのだ。

後ろを振り返ると、ユイがミミを抱き上げ、睨んでいる。
「どこに、お風呂に入る様なノンキな空き巣がいるのよ!お兄ちゃん!ミミちゃんを、新聞紙を丸めて叩こうとしていたんでしょ!」

言い訳は通じそうになかった。俺は、それを悟って、「違う・・違うんだ・・・違うんだ・・・」と呟きながら後退り、階段を登り、自室に逃げ込んだ。
すぐに階段の下から、ユイの声が聞こえる。
「お兄ちゃん、もう止めてよ!ミミちゃんに乱暴しちゃだめだからね!」


第3話:え!?ハワイ旅行!

結局、風呂にいた女の子の正体は分からなかった。俺の勘違いとしか思えず、それ以上、考えることを諦めた。
机に向かって、一応は勉強をしている形を取り、暮れなずむ夕日を眺めていると、腹が減ってくる。そして、昨日に引き続き、今日も自室に引篭もるべきか悩み始める。何しろ、俺の部屋は、長期篭城戦には耐えられない欠点があったからだ。

壁にある電気のコンセントは、豚の鼻の様な虚しい穴が開けられたままで、そこには何も繋がっていなかった。そう、この部屋には、現代文明の利器、人類の英知の結晶である娯楽設備が何一つないのだ。
昨年まで、あそこにテレビがあって、その下にはゲーム機が、さらに机の上にノートパソコンが・・・何と、豪華な部屋だったことか・・・だが、さすがに二浪もしていると全部取り上げられてしまい、今では、ベッドと机と本棚しかない、まったく殺風景な部屋に成り下がっていた。あ〜あ、正に悲しき受験生の勉強部屋ってことだろう。
これでは引篭もれない。もし、これで引篭もれる人がいたら、是非、お目に掛かりたい。常人の感覚からしたら、まず絶対に不可能だ。
そんなことを思いながら時計を見ると、そろそろ夜の7時。晩御飯の時間だった。

引篭もることは止めて、下に降り、リビングルームのドアを開ける。テレビの音がする。その画面が見える。俺の好きなお笑い番組だ。部屋を見渡すと、長いすにユイが座り、その横にネコがいた。
俺は、テレビの斜め前、カーペットの上にドカッとあぐらをかいて座り、視線はまっすぐテレビに向け、ユイとネコを見ない様にしていた。

視界の隅で、ユイが立ち上がったのが見え、そのまま、ユイは、俺の横に来て正座をした。その膝には、ネコがいる。
ユイが俺の横に来たのは、先ほどのことで文句を言うためだと思っていた。
ユイが言葉を出し始める。俺は警戒しながら、それを聞いた。
「お兄ちゃん、さっきはごめんね。そうよね、お兄ちゃんが、乱暴なことをするわけないよね」
「えっ!?」予期していなかった言葉に俺はびっくりしてしまった。
さらに、ユイは、膝に乗せたネコに話しかける様に、言葉を続かせた。
「さっきね、ミミちゃんと一緒にいたら、私が小さかった頃のことを思い出したの。あの頃、お兄ちゃん、私をいつも庇ってくれて、とっても優しかったじゃない。私もお兄ちゃんのことが大好きで、いつも一緒にいたいと思っていた・・・それを思い出したのよ。まるで、ミミちゃんがそれを思い出させてくれたみたい」
「ユイ・・・」
「それに、ミミちゃん、“今だって、お兄ちゃん、優しい気持ちを持っている”って言うの。もちろん、言葉じゃなくて、ミミちゃんの目を見ていたら、ミミちゃんが伝えたがっていることが分かったのよ」
ユイは、ネコに声を掛ける。「そうよねぇ、ミミちゃん」
ネコは、ユイの顔を見上げ、声を出す。「ミャ〜ン♪」
俺は、先ほど、ユイを『貧乳』と嘲ろうとしたことを思い出し、居心地悪くなった。
「そうよね・・お兄ちゃんは、今は浪人生でしょ、それにドジだし、イライラした気持ちを持っているのは・・・しょうがないのかなって思えてきたの」
「ドジって・・・それは余計じゃないのか」
「そうね」と、ユイは優しく笑う。その瞬間、俺は、ユイが大人に思えてきた。それに、ブラウスに包まれた胸もそれなりに膨らんでいて、『貧乳』でもなくなっている。妹のユイは、俺の知らない内に、少女から大人の女へ代わりつつあったのだ。

ユイが視線をネコから俺の顔に移した。笑っている顔の可愛さの中に混じり始めた色気にドキリとしてしまう。
「ねぇ、お兄ちゃん、ミミちゃん、お兄ちゃんと仲良くしたいって言っているのよ」
それに続いて「ミャ〜ン♪」とネコの鳴き声がする。
「ほら、そう言っているでしょ。お兄ちゃん、ミミちゃんと仲良くしてあげて。ミミちゃんを抱っこしてあげてよ」と、ネコを持ち上げ、俺の目の前に持ってくる。
一瞬にして体が固まった。その俺の状態を無視するように、ユイは、ネコを俺のあぐらを組んでいる脚の間におき、そして、「どう?お兄ちゃん、ミミちゃん、可愛いでしょ。じゃあ、私、ママのお手伝いしてくるからね」と、立ち上がってキッチンに入っていった。俺は、ネコと一緒に、リビングルームに取り残されてしまった。

残された俺は、体が固まったまま、身動きもできなかった。
そして、伝説の口先女(口から先に生まれた女の略語)であるユイの恐るべき策略にはまったことに気付いた。俺が、ネコを膝の上に乗せることはありえなかった。それを、みごとな優柔策を持って成し遂げていたのだった。
俺はネコを放り出そうとした。だが、体が固まったままで動けず、そのままの姿勢でいるしかなかった。
そして、以前に、年長の従姉の子供が生まれた時のことを思い出し始めた。

嫌がっているのに「いいから、抱いてみなさいよ」と従姉に言われ、その赤ん坊を抱かされた。
落としたら大変だと思って、体に変に力が入ってしまう。だが、赤ん坊は俺の手の中で、スヤスヤと寝ていた。可愛いとか、可愛くないとか思う前に、小さな加護すべき生き物がそこにいる感じを受けた。
それと同じみたいだった・・・そんな感じだった。
柔らかく小さな生き物が、今、俺の膝の上に乗り、気持ち良さそうに毛繕いをしている。
俺は、動くこともできず、その動きを見続けた。
しばらくして、ネコは、そこで手足を伸ばしてあくびをすると、膝から降りてくれた。ホッとした反面、ほんの少しだが、寂しい気持ちもした。

だが、次の瞬間、俺は自分の目を疑った。ネコが、廊下に出るドアの取手を、ジャンプをして回し、ドアを開けて出て行ったのだ。
思わず、声が出る。「ね、ねこが!・・・ドアを開けた!」

キッチンの奥から、ユイの声がする。「トイレにでも行くんじゃないの」
「ト、トイレ!?」俺はドアから首を出して廊下を覗いてみた。
ちょうど、ネコは、トイレの扉も同じ様に開けて中に入っていった。
俺は、呆然としたまま、トイレの扉を見続けた。しばらくして、トイレットペーバーをカラカラと引き出す音がし、さらに、水洗を流す音がした。

キッチンにいるユイに、今、おきたことを、震える声で話した。
「ね、ねこがトイレを使った・・・」
その俺の声を聞き、ユイがキッチンから顔を出す。「さっき言ったでしょ。ミミちゃんはトイレを使うって。ミミちゃん、頭が良いのよ。一回教えただけで、ちゃんとトイレを使う様になったのよ」
俺は、ユイに疑問をぶつけた。「ちゃ、ちゃんとトイレを使うのか?・・と、と、トイレットペーパーとかも、ちゃんと使うのか?」
「えっ?お兄ちゃん、何言っているの?」
その時、お袋が、「ほら、ユイちゃん!お鍋が吹いちゃうわよ」と声をかけてきて、ユイは、キッチンの仕事に戻っていった。

俺は、呆然としたまま、さっきと同じ位置、テレビの前にあぐらをかいて座った。トイレから戻ったネコは、長いすの上に寝そべっている。
どうやら、我が家にいるミミは、トイレットペーパーも含めて、“ちゃんと”トイレを使い、飼い主であるユイにはそれが当然のことになっている様子だった。俺の知らない内に、ずいぶんと世の中は進歩していた。
その時、ふっと、閃いたものがあった。『トイレを使うんなら、お風呂だって入るのかも』

昼間、湯船に女の子が入っているのを見た。そして、その後、脱衣所から出て来たのはミミだった。
だとすると、お風呂に入っていたのもミミで、“彼女いない暦20年”を誇る俺の“彼女欲し〜!”願望が、そのミミを女の子と見間違いさせた、そう思えてきた。
ネコを女の子と見間違える。ありえないことだったが、俺だったら、そのくらいの見間違えをやってしまいそうだった。

俺は、ミミが風呂にも入るのかを聞くため、キッチンに向かって大きな声を出した。
「おい、ユイ、ミミは風呂に・・」
その瞬間、元々の発端は、ユイを『貧乳』とあざけようとしたことだったと思い出し、慌てて聞くのを止めた。だがユイに俺の声が聞こえたらしく、キッチンから顔を出してきた。
「なあに?お兄ちゃん」
「い、いや、何でもない」
「変なお兄ちゃん・・、ともかく、ミミちゃんは、人間と同じで、何でもちゃんとしてるんだから、可愛がってあげてなきゃだめなの」と、また、キッチンの仕事に戻っていた。

俺は、『人間と同じで、何でもちゃんとしている』らしい、長いすの上のミミを見る。
やはり、こいつは不気味な生き物だ。君子危うきに近寄らずである。絶対、そばに寄ってはいけないものであることを実感した。

やがて、親父が会社から帰ってくる。
そして、晩飯の時間だ。その晩御飯を食べながら、親父が話し出した。
何でも、親父の会社の人が、来週の週末からの連休に家族でハワイに行く計画していたらしい。それが、親戚が危篤状態になり行けなくなったとのことだ。
さらに、親父は、その代わりに当家族で行くことを話し始めた。
家族から歓声があがる。
憧れのワイキキのビーチ。外人の姉ちゃん達のビキニ姿、ボインボインのお胸と、プリンプリンのお尻が頭の中で揺れる。「ウッキキ」と笑いが出てしまい、それが止まらなくなる。
フッと我に返ると、家族が白けた顔で俺を見ていた。俺は慌てて笑いを止め、声を出した。
「冗談じゃないよ。俺は勉強をするんだ。そんな所には行ける訳ないだろ」
そう言いながらも、心の中で、『家族で行くのが家族旅行なんだから』と親父が言うと思っていた。だが、俺は次の親父の言葉に唖然とした。「達也、よく言った。その通りだ。実はチケットが3枚しかないんだ。達也がそう言ってくれると、心置きなくハワイに行ける」
予想もしていなかったその言葉に、“うそや、そんなあほな・・・”と、思考回路が一瞬、お笑い系の関西弁に切り替わってしまった。そして、俺の頭の中から、ハワイが・・・ワイキキのビーチが・・・ボインボインのお胸が・・・プリンプリンのお尻が・・・遥か彼方に遠ざかっていった。
“ぐれてやる!絶対にぐれてやる!とりあえず、タバコを吸ってやる!お酒を飲んでやる!そして、警察に補導されてやる!”
そう思ってから、もう、二十歳を過ぎているから、警察が補導してくれないことに気付いた。そう、俺は、ぐれることもできない、悲しい二十歳だったのだ。

***

晩御飯を食べてから勉強をして、深夜過ぎ、寂しくベッドに入り込む。
やがて、ウトウトとしてくる。
もう見ることができなくなったボインボインとプリンプリンが、頭に浮かんでくる。
触ったら柔らかいんだろうなと思いつつ、自然と手は布団の中をまさぐる。その手が、何か柔らかい物に触れる。ゆめうつつで、それを抱きしめる。さすがに外人のお姉ちゃん、毛深いなぁと思いながら、その体を撫でる。
さらに、それを、顔に寄せる。頭の中では、外人のお姉ちゃんとキスを交わし始めている。俺の顔が舐められる。やっぱ、外人の愛情表現は違うよなぁと、そのザラザラとした舌触りを感じる。ギュッと抱きしめると、可愛らしい声を出した。「ミャ〜ン♪」

外人のお姉ちゃんって、ネコみたいに毛深くて、ネコみたいな舌で舐めてきて、ネコみたいな声を出すんだ・・・・と、ボ〜っとした頭の中で思う。
また、「ミャ〜ン♪」と声が聞こえる。
俺は、意識の片隅で不吉なことを感じた。眠いながらも無理に目を見開くと、俺はネコの顔にキスをしていた。

「ギャア〜!」
生きている間に、こんな大声で二度と叫ぶことはない。そんな、とんでもない声を張り上げてしまった。寝静まっていた隣近所の明かりが次々と点いていく。家族が、俺の部屋に飛び込んでくる。

「どうしたんだ!」
「どうしたの?」
「大丈夫?お兄ちゃん!」

「こ、こ、こ、こ」鶏の鳴く様な声しか俺の口から出なかった。それが、ようやく言葉になってくる。「こ、ここ、ここに、ここに、ね、ねこが、ねこがいたんだ!」
その瞬間、家族は全員、「なんだぁ〜」って顔になる。

家の外がザワザワとしている。近所の人たちが、外に出てきた様子だった。
さらに玄関の外で、「沢田さん、何かあったんですか?」と近所の奥さんの声がする。
慌てて、お袋がその応対に下に降りていく。親父が呆れた顔で、寝室に降りていく。ユイが、ベッドから降りてキョトンしているネコを抱き上げて、「ミミちゃん、大丈夫?お兄ちゃんに変なことをされなかった?」と話しながら、自分の部屋に戻っていく。

玄関に出たお袋が、近所の人に謝っている声が聞こえる。「長男が夢で驚いたみたいで、変な声を出して・・・本当にご心配をお掛けして・・・」
近所の奥さんの声がする。「ご長男?・・・ああ、この少子高齢化の時代でも浪人している子でしょ。あの子って、常日頃から変な子だと思っていたのよ。・・一度、病院に連れて行った方が・・・別に奥さんに悪気があって言ってる訳じゃないから・・・」
俺は、その言葉に十分悪気を感じた。そして、俺の近所の評判は、決して良いものじゃないことを知った。


第4話:俺は、ミミの命の恩人

今日は日曜日。家族は俺を残して、ハワイ旅行に必要な物を買いに行った。
俺は、一人寂しく自室で勉強をしている。と言っても、窓の外をぼんやりと見ている時間の方が長いって感じ。

さっきまで、庭にミミがいた。不思議なもので、俺も、ずいぶんネコに慣れてきた。
数日前の夜のあの叫び声で、ネコに対する恐怖心が吹き飛んだみたいだった。家の中でネコをみても、以前の様に体が固まることはなくなった。だが、やはり、ネコが苦手なことには変わりはなく、あの生き物は地球上に存在すべきではないと思える。

漠然とそんなことを考えていると、家の外で犬の吠える声がした。かなり凶暴な吠え方だった。驚いて外を覗いてみると、ミミが犬に追われていた。一瞬、脳裏に、その犬に噛み殺されるミミの姿が浮かぶ。
俺は、「そうだ!バカ犬、ネコなんか地球上から抹殺しろ!」と叫んだ。だが、体は階段を駆け下り、そのまま裸足で玄関から外に飛び出していた。
ミミは門柱の上で怯えていた。その下で、首輪から鎖を垂らした、黒い大きな犬が吠えながら門柱を爪でガリガリと引っかいていた。
俺は雄叫びを上げてそこに駆け寄り、小学生の時に習っていた空手の要領で、犬にまわし蹴りを決めようとした。だが、慌てていたせいか、それとも久しぶりに体を動かしたせいか、その軸足が滑り、ゴン!と大きな音を立て、頭を道路に打ち付けてしまった。瞬間、目の前に星が乱舞する。
「痛てぇ!」と喚き、体を起こして犬を見ると、俺がひっくり返ったことに驚いたらしく、10メートルぐらい離れた所に逃げていた。
痛みが怒りを沸騰させる。「バカ犬、殺す!殺してやる!」と犬に向かって駆け出した。犬は俺に追われ逃げる。俺は「殺す!殺してやる!」と叫び追いかける。
だが、犬の足の方が断然早い。俺は追いつけない。それでも、俺は「殺す!殺してやる!」と犬に向かって吼え、追いかける。
そうしながら、どうも犬の仕草が気になりだした。犬は曲がり角ごとに止まって、俺が追いつくのを待ってから走り始めていた。おまけに、尻尾を振って楽しげな様子だった。犬に取って、俺との追いかけっこがリクリエーションになっていたのだ。それが、俺の怒りを爆発させた。
気が付けば、「殺す!ぶっ殺す!」と叫び、尻尾を振って楽しげな犬を追いかけ、裸足で町内を駆け回っていた。
久しぶりの急激な運動。足が動かなくなる。それに、ずいぶんと近所中を叫びながら走り回った様な・・・少し、不吉な思いがしてくる。
犬を追いかけるのを諦めて家に戻ると、玄関でミミが「ミャ〜ン♪」と出迎えてくれた。その横を、廊下を汚さない様に爪先立ちで歩きながら、「お嬢さん、お怪我はなかったかい?」とハードボイルド風な決めゼリフを吐いて、足を洗うためにお風呂場に入った。

そして、日曜日が終わり、予備校に通う日々になる。
俺は、何とかミミと共存できる関係になった。だが、その代わりに近所の人たちとの共存が難しくなってきていた。近所の奥さん、子供達は、外で俺の顔を見ると、「ヒッ!」と悲鳴をあげて横の路地に逃げ込むか、回れ右をして一目散に走り去ってしまうようになっていたのだ。
どうも、『殺す!ぶっ殺す!』と、近所中を喚きまわったことが悪かったみたいだった。

***

俺の、彼女いない暦20年の願望“彼女、欲し〜!”は強まってきている様だった。
時々、家の中で、視界の隅に、お風呂で見たと思われる、例の女の子の姿を見かける様になった。だが、その子に視線を移すと、途端に、その姿がミミに変わってしまうのだった。例えば、リビングルームに入ると、長いすで横になってテレビを見ている彼女の姿がチラッと目に入る。“あっ!?”と思い、彼女に視線を向けると、長いすの上にいるのは、ミミに変わるって感じだ。
でも、彼女の姿を何回も見ていると、何となく、彼女を具体的にイメージできる様になってくる。可愛らしい顔つき。短めで、淡い色のサラサラの髪。体の露出が大きい、ベスト風の服と、短パンの姿。
その彼女は、自分の願望が作り出している幻覚だと思っていた。
だが、俺の願望にしては、納得できない部分があった。頭に猫耳を付け、首に猫風の首輪を付け、お尻に猫の尻尾を付け、黒い瞳に金色の光沢があり、なんとなくネコを感じさせる格好だったのだ。俺の深層心理の中に、あり得ないことだが、ネコを求める部分があるのだろうかと、悩まざるを得なかった。

ただ、俺が、女の子の幻覚を見ていることは誰にも言えなかった。自慢じゃないが、病院に連れて行った方が良いとまで言われた俺だ。うかつなことを言えば、間違いなく、病院に連れて行かれる。それだけは、絶対に避けたかった。

そう言えばミミだが、ネコを飼うのは初めてだからあまり比べようはないが、ミミはネコとして少し変わっていると思う。
昨夜のことだが、深夜、勉強が終わり、窓の外から星空を眺めていたら、隣のユイの部屋の出窓にいるミミの姿が目に入った。すでに、ユイは寝ているらしく、部屋は暗い。ミミは、その出窓の所で、星空を見上げていた。
ネコに、もし、寂しげな表情があれば、それは、その時のミミの表情だろう。彼女は、何かを憂う様に星空を見上げていた。


第5話:俺・・死んじゃうの?(前編)

いよいよ、連休の初日の朝がきた。
すっかりと旅行仕度をした家族は、こちらの気持ちを無視して、既に気持ちはハワイらしく楽しげな様子を振りまいていた。
そんな無情な彼らを玄関で見送り、その後ろ姿に、“いつか、俺一人で、ハワイのお姉ちゃん達に会いに行ってやる!”と誓った。

玄関の扉を閉め、後ろを振り返ると、ミミがそこにいた。
「ミミ、みんな行っちゃったなぁ。四泊五日のハワイ旅行・・・良いよなぁ〜。よし、俺も、いつか、必ず行くぞ!その時、ミミも一緒に行くか?」
ミミが返事をする。「ミャ〜ン♪」
「一緒に行きたいってか。じゃあ、ミミ、約束だ!俺が必ずお前をハワイに連れて行ってやる!」

ミミと話をしたことで少し気分が持ち直してきた。そのまま、キッチンに入って遅い朝食を取る。
丁度、それを食べ始めた時、寒気を感じた。
“風邪?”
その時はそんな程度で、風邪薬を飲めば直ぐに直ると思っていた。

連休二日目の次の日、だいぶ、風邪が悪化していた。
体が、自分の物とは思えない程だるく、立つと目眩がした。水を飲みにキッチンに行くのと、トイレに行くことぐらいはできたが、その時以外はベッドで横になっていた。

ミミがベッドの上に飛び移ってくる。そして、俺の顔に、自分の顔を擦り付けてから、「ミャ〜ン」と鳴き、そこに身を横たえ、毛繕いを始める。
俺はウトウトしてぼんやりと目の前のミミを見ながら、自分のネコ嫌いが直ったことが不思議な気がしていた。

夕方になり、窓の外に夕焼けが広がる。その光景で、とても感傷的になってしまう。
その夕焼けの中に、自分の死をイメージした俺は、風邪で弱った気持ちのまま、青春二十歳の想いをミミに話しかけた。
「ミミちゃん・・俺、このまま死んじゃうのかなぁ・・・」
横にいたミミが頭を上げ、俺の顔を見て、心配そうに「ミャ〜ン」と鳴いた。
「家族はいないし、一人ぼっちで・・・このまま・・・死んじゃったら
ミミちゃん・・・俺って不幸だよな・・・誰にも看取られないで・・・。
・・・それに、俺・・・彼女もいないし・・・
・・・なんか、俺の人生・・・良い事ってなかったよなぁ・・・」
さらに、窓の外の夕焼けを眺めながら、
「死ぬまえに・・・彼女、欲し〜!」
と、言葉を出し、横にいるミミを意識して、さも力尽きた風に目を閉じた。顔の横で、ミミが切なげに「ミャ〜ン」と鳴いた。
だが、実際に俺の体調は悪い。その声を聞きながら、そのまま眠りに落ちてしまった。

***

目を覚ました。額の上に冷たいタオルが乗っている。その冷たさが心地よかった。
そのまま上を見ると、天井の照明が灯っている。既に、夜になり、誰かがこの部屋の明かりを付けていた。
“俺が付けたんだよなぁ”と思ったが、明かりを付けた覚えはなかった。さらに、額の上の冷たいタオルにも疑問が湧いてくる。
その時、横に人の気配を感じた。そちらに視線を向けると、頭にネコ耳を付けた女性が、黒い瞳に金色の光沢を浮かべ、心配そうな表情で俺を見詰めていた。
その彼女の口が動く。「良かった、気がついて。ねぇ、何か飲む?何か食べたい物ある?」
初めて聞く彼女の声は、少し舌足らずな感じがした。

目の前の彼女は、俺の幻覚。聞こえる声も幻聴。なるほど、体調が悪いと、これほどはっきりと現れるのかと驚いた。それに、彼女は可愛いし、胸も大きいし、これで、触ってみてさらに触感もあれば、かなりラッキーなことがおきていると思えた。
俺は、それを確かめるために、如何にも死にそうな感じで声を出した。
「何もいらない・・・手を握っていてほしい・・・」
彼女の両手が俺の手を包む。
触感があった!本当に彼女の手を握った感じがした。彼女いない暦20年の俺は、ちゃんと触れる妄想を作り出したのだ。俺は、俺の想像力の偉大さを実感しつつ、彼女の大きな胸に視線を向けた。
登山家が山を見て『山が俺を待っている!』と言うのは、今の俺には至極当然のことと思えた。なにしろ、横にある柔らかそうな双子山が、俺が触るのを待っているのだ。だが、相手はいつ消えるか分からない妄想だ。“妄想と生ものは、賞味期限内にお召し上がりください”って冗談を思い浮かべ、もうすぐその胸に触れられると思うと、「クッククク・・・」と笑いが抑えられなくなってきた。

だが、俺の妄想は、その俺の気持ちを無視するかの様に話し始めた。
「あなたの病気は、この星の病気じゃないの。ほら、見て」
そう言って、俺の妄想は、俺の顔の前に手鏡を翳した。俺は、俺の妄想が言うままに、ニタニタしながらその鏡を覗き込んだ。
鏡に映った俺の顔は、如何にもスケベったらしい顔つきで笑っている、だが、もう一つ別のことに俺は気づいた。その顔が、赤ペンキを塗った様に真っ赤なのだ。
自分が見たもので呆然としてしまった俺の耳に、俺の妄想の話し続ける言葉が聞こえた。

「これは・・・、私の星では、思春期の男性だけが、それも、100万人に1人しか発病しない病気なのよ。思春期になった男の人って、特別の物質が体の中に出ているらしいの。それがとても多い人がいて、その人がこの病原菌に感染すると、たちまち増殖して発病しちゃうのね。それに・・・ねぇ、地球にも猿がいるわよね。猿って、発情期になるとお尻が赤くなるでしょ、それと同じメカニズムで、この病気が発病すると、顔が真っ赤になるのよ」

急に色々なことを言われ、俺の頭は混乱した。
“彼女は俺の妄想ではなく、宇宙人だった!?”
“俺は風邪ではなく、顔がお猿の尻と化す病気にかかっていた!?”
だが、順番に聞くしかなかった。焦る気持ちを抑えて、彼女に質問をする。「君はだれ?・・宇宙人?」

「そうね。あなた達に取っては、私は宇宙人ね。それに・・・・」
彼女は、そう話しながら、暗い窓に視線を移して言葉を続けた。「私は・・・ミミよ・・・」

ショックだった。妄想相手なら、あんなことや、こんなこともできると思っていたのに、彼女は、俺の妄想ではなく、れっきとした宇宙人だったのだ。
俺は、彼女の顔を見る。彼女は、『私はミミよ』と自分の名前を言ったまま、遠くを見るように窓の外を見ている。ベッドに寝ている俺には、丁度良い位置に彼女の胸があり、それを包むベスト風な服のボタンがはちきれそうになっている。如何にも俺が触るのを待っている感じがする。
そうだ、俺の妄想じゃなくても、宇宙人なら胸ぐらい触らせてくれるかも知れない。いや、彼女は、俺が触るのを待っているんだ。そうなんだ!絶対そうだ!
俺は、彼女と繋いでいる手をそっと振りほどき、その手を彼女の胸に伸ばした。ゴクリと喉仏がなる。もう少しだ。もう少し・・・瞬間、彼女の手がマッハ級の速度で俺の手をバッシ!と叩いた。

・・・・諦めるしかなかった。俺はジンジンと痛む手をそっと布団の中に戻しながら、「は〜あ」とため息を漏らし、何事もなかった様に彼女と会話をした。「そうかぁ、やっぱ、宇宙人なんだ。それに、奇遇だね、うちのネコの名前もミミって言うんだよ」
途端に、彼女の眦がピクリと動き、瞳に金色の光沢を輝かせて俺の目を覗き込んできた。「そうじゃなくて、わ・た・し・が、ミミなのよ」
彼女の表情が、少しイラついている様に見えた。俺がうちのネコと同じ名前だと言ったことが気に入らなかったみたいだ。ひょっとすると、彼女の星では、同じ名前が許されない風習があるのかも知れない。だが、ここは地球だ。地球では、二人(正確には一人と一匹)の名前が同じでも良いはずだ。それに、この宇宙人は、胸も触らせてくれないくらいケチなのだ。だから、俺は、ワザと、さっきと同じことを言った。
「だよね。でも、うちのネコの名前もミミって言うんだよ」

その言葉で、彼女は眉間にシワを寄せ、むきになってくる。
「だから!私がミミだって言ってるでしょ!もぉ、普通のドラマだったら、えっ!君がミミなのかって、驚く所でしょ! あなたって、エッチなこと以外考えていないんでしょ!」

俺は、怒りながら喋る彼女の顔を見て、この宇宙人は、二人(正確には一人と一匹)の名前が同じことを絶対に許されないと分かった。宇宙人はとんでもなくわがままなのだ。
「分かった。そうなんだよ。君がミミだ」と、慌てて声を出し、“しょうがない、うちのネコの名前を変えよう”と思った。

「やっと分かってくれたのね。そう、私がミミなのよ」
彼女は、肩で息をしながら、額に浮き出た汗を拭ってそう話し、俺の顔の上のタオルを取り上げ、机の上に置いてある洗面器に浸した。カラカラと音がする。洗面器の中に氷が入っているらしかった。
それを絞ってから、また俺の額に乗せる。その冷たさが体を癒してくれる。
そして、彼女は、続きを話し始めた。
「この病原菌は地球にないタイプ。どうも、私と一緒にこの星にきちゃったみたい。だから、ここにある薬は効かないの。でも、私の星にもこの病気の薬はないわ。この病気に掛かるのは『女が欲し〜!女が欲し〜!』って男の人ばかりで、例外なく痴漢やストーカーの経験者なの。それに、100万人に1人でしょ。どの医療研究者も研究の対象にしないのよ」

俺は焦ってきた。どうやら、不治の病に掛かったらしい。思わず言葉が出る。「な、直らないのか?」
「直す薬はないわ。『お猿の尻死病』とか、『猿のおケツ病』とか言われている病気に、だれも治す必要なんて感じないのよ。だいたい、そんな恥ずかしい病気に掛かる様な変態は死ねば良いんだわ!」
そう言って、彼女は口をゆがめ、フッフフと冷たく笑った。俺は、彼女に、その病気に纏わる暗い過去があったと思えてきた。
だが、今は、その病気はひと事ではない。俺は、恐る恐る声を出した。「お、俺は、ど、どうなるんだ?」

彼女は、その冷たい笑いを浮かべたまま、遠くを見るように話し始める。
「病気になった人は、顔が赤くなってから、20時間以内には死ぬことになっているの」
さらに、顔付きが変わり、「ウッフフ、そうよ、死ぬのよ!そんな病気になる様な恥ずかしい男なんて、みんな死んじゃえば良いのよ!」とほえ、高笑いを始めた。

“俺は20時間以内に死ぬ・・・しかも、そんな恥ずかしい病気で・・・”
ショックだった。ポツリと言葉が出た。「俺は・・・もうすぐ死ぬ・・・」

彼女の顔が優しげな表情に戻り、俺の顔を見る。
「たった一つだけ、直ると言われて方法があるの。それは、若い女性の『気』を分け与えることなのよ」

俺は、直ぐに、彼女に懇願する。「くれ!俺にそれをくれ!頼む!」
「ちょっと待って。私の星で、治療法があるかも知れないのに、なんで直る人がいないのか、あなたに分かる?」
「いや分からない。それって、高い物なのか?」
「値段は関係ないの。でも、女の子が大事にしているもので、好きな人にしかあげることができないものなの。だから、そんな病気に掛かる男なんかにやることはないわ。ね、そうでしょ?」

『そうでしょ?』って、その病気にかかっている俺に同意を求められても・・・すごく困る・・・でも、それじゃあ、俺にはくれないってことなのか?
気持ちが底なし沼に落ち込んでいった。“やっぱり、20時間以内に死ぬんだ”そう思っている俺の耳に彼女の声がしてくる。
「大丈夫。私、あなたにあげることにしたから」

俺は、地獄で仏に会った気分だった。いや、女だけに、彼女は観音様だ。聖母マリア様だ。小野小町だ・・クレオパトラだ・・・楊貴妃だ・・・えぇと、他に誰かいたっけ・・・そう言えば、近所のだんごろうさんは、フジワラノリカの離婚を喜んでいた・・・ありえないことだが、どうも、彼女の次の再婚相手は自分だと思っているらしい・・・。

何しろ、もう直ると思って安心しきっている。考えが、羽が生えた様に飛び回り始めた。だが、そこに、彼女の言葉が割り込んでくる。
「でも・・・・『気』をあげるためには、衛星からの強い電磁波が必要なの・・・」

飛び回っていた俺の思いは、地上目掛けて墜落を始めた。
“衛星?強い電磁波?それが必要?”
俺はそれを考え、衛星が月であることまでたどり着いたが、電磁波の意味が分からなかった。
「衛星って、月のことだろ。だけど、電磁波って?」
「そう、ここでは、衛星のことを『ツキ』って言うわね。私の星なら、それは『ズキ』。『ツキ』と『ズキ』、何か発音が似てるわね。それに、ねぇ、この星では衛星が一つしかないでしょ、それって珍しいのよ。私の星では、その『ツキ』が沢山あるの。だから、それを見て『ズキ』とは言う人はいなくて、沢山と言う意味の『コ』を付けて『コズキ』と呼んでいるの・・・」

彼女の話は続いていく。だが、『電磁波』からは遠ざかり、彼女の星に関するものに移っていった。そう、彼女は、やはり女性だった。質問に対する結論は喋らず、どうでもいい様なことを永遠と話すのだ。そして、場合によっては、信じられないことに、質問自体を忘れられることもある。

彼女の星にいる動物の話をしている彼女に、俺は痺れを切らし、恐る恐る「電磁波って何?」と初めの質問を出してみた。
その瞬間、「電磁波でしょ!だから、今、それを話しているの。物事には順番があるのよ!」と彼女に睨まれ、次に、彼女の星の植物に関することを聞くことになった。

一応、彼女は、俺の質問を忘れていなかった様なのでホッとした。それに、これは俺の生死に関わることなのだ。絶対に彼女の機嫌を損ねることはできない。俺は、黙って聞くことにした。


第6話:俺・・死んじゃうの?(後編)

少しウトウトしかけた頃、彼女の話は、ようやく衛星に関することに戻ってきた。
「・・・そうなの、衛星って恒星の光りを受けて満ち欠けするでしょ。その光りが満ちた時、電磁波が最高になるの。そして、その時しか、あなたを助ける行為ができないのよ」

俺は、やっと電磁波の意味が理解できた。彼女は、月が出す光りのことを言っていたのだ。そして、それが、最高になる時は・・・
「ま、満月だ。満月の日なんだ!」
「そうよ。光も一種の電磁波でしょ。明日の夜。満月になるのよ。私は、その最高に達した電磁波にシンクロして、あなたに『気』をあげることができるの」

だんだんと分かってきた。明日の夜の満月の時に、おれは彼女に助けられる。
だが、俺は、彼女の言う『気』が何なのか分からなかった。それを、質問しようとしたが、せっかくだから、さっき教えてもらった彼女の名前をいれてみた。
「ミミさん、ところで『気』って何?」

彼女は、俺の顔を見て、ニコッと笑って話す。
「そうね。私、付けてもらったミミって名前、気に入っているの。でも、『ミミさん』じゃなくて、『ミミちゃん』って呼んで欲しいなぁ。せっかく『気』をあげる人から、そうやって可愛く呼ばれたい♪」

彼女は、俺の質問でなく、別のことに反応してしまった。そして、彼女の今の言葉、『ミミちゃんって呼んで』は俺を悩ますものだった。
ネコの名前を付けたのが妹のユイだったことを思い出し、できれば、その名前を変えたくなかった。だから、ネコを『ミミちゃん』にして、彼女を『ミミさん』にしておけば混乱がなく、それが緊急避難的な打開策だと、俺は考えた。
だが、今、彼女はそれを否定しかけてきた。俺はできれば、その考えで彼女に納得してもらいたく、それを彼女に提案してみた。

「考えたんだけど、君をミミさんにして、ネコをミミちゃん・・・・・・ヒッ!」
話の最中で、彼女の目がピクリと動き、笑っていた顔の眉間に深いしわが発生した。俺は、その顔を見て、小さく悲鳴を上げてしまった。
彼女から、すぐさま、声が発せられる。「まだ!ネコって言うの!?」

予想をしていなかった。彼女は、『ネコ』の言葉に反応し、突然、怒ったのだ。瞬間、俺は、自分の読みの甘さに気付いた。彼女は頭にネコ耳を付け、また見た目がネコっぽかったからネコ好きと思っていた。だから、うっかり『ネコ』と言う言葉を安易に出してしまった。だが、実際は、以前の俺と同じネコ嫌いみたいだった。そう言えば、先ほどの機嫌の悪さも、彼女に、ネコと同じ名前だと言ったことが引き起こしたと考えられる。それに、今の反応速度からして、ひょっとすると、当時の俺以上にネコ嫌いなのかも知れなかった。
俺は、彼女に向かって、慌てて言葉を訂正した。「も、もちろん、君がミミちゃんだよ。あ、当たり前だろ!」

やはり、宇宙人は見かけでは判断してはいけなかった。地球人だって、分からない行動をするやつに、『あいつは、宇宙人だからな』とか言うじゃないか。それが本物の宇宙人だ。我々の窺い知れないことがあっても当然だったのだ。
その教訓から、今後は、彼女の前で、絶対に『ネコ』と言わないことにした。
それと同時に、もう一つ、気が重くなることが頭に浮かんできた。やはり、うちのネコの名前を変えるしかなかった。俺は、伝説の口先女とのこれからの暗い戦いを考え、痛い頭がさらに痛くなってきた。

彼女が、また、話し始めた。俺のさっきの質問に答えている。
「『気』って、元気の元みたいなもので、・・」

俺は、彼女に気付かれない様に小さく、クックックと笑ってしまった。面白い冗談を思いついたのだ。
“『気』が元気の元ならば、『元』は元気の気なのだ!”
それを彼女に言ってみたくなり、彼女の顔を窺ったが、話し続けるその顔にはまだ怒りが残っていて、とてもじゃないが、そんな冗談を受け付ける雰囲気はなかった。
せっかく思いついた冗談を言うのを諦め、彼女の話を聞こうとした。だが、その時、突然、俺の頭の中に閃いたものがあった。

彼女の姿は、今までに何回も家の中で見てきた。そして、これまでの彼女の話で、彼女が俺の幻覚でなく、実在する宇宙人だと分かった。なるほど、宇宙人だったら、現れたり、消えたりすることは簡単だろう。そこまでは納得した。だが、もうひとつ疑問があった。彼女が消えると同時にうちのネコが現れるのだ。その理由が分からなかった。それが心の中にトゲの様に引っかかっていた。だが、たった今、その理由が閃いたのだ。

“彼女がネコ嫌いだったから、自分が現れる時に、ネコを他の場所に移していたんだ”
そうだ。彼女は、そこまでネコ嫌いだったのだ。
じゃあ、その間、うちのネコはどこにいたんだろう?その問いに対して、暗黒宇宙にある暗い牢獄の中で、不安げにミャ〜ンと鳴いているネコの姿が頭に浮かんできた。ネコ嫌いだったら、それぐらいはやりそうだった。以前の俺だったら、躊躇なく、そうしていただろう。
そして、今も、うちのネコは見当たらない。きっと、そこに閉じ込められているはずだ。
そう考えている俺の耳に、彼女の最後の言葉が入ってきた。
「・・・そうやって、私は、あなたに『気』をあげるの。だから、あなたは明日の夜まで、何としても生き続けなければならないの」

話し終えた彼女は、俺の額に乗せていたタオルを取り上げ、洗面器に浸し始めた。今だったら、うちのネコがどうなっているか聞けそうだった。だが、彼女は、『ネコ』の言葉で反応する程のネコ嫌いだ。『ネコ』と言う言葉を使わずに聞くしかなかった。

「ねぇ、ミミちゃん、瞳孔が開いたり閉じたりして、牙があって、爪がある生き物がいるでしょ」
「そんな生き物、いるの?」
「いるよ。君が嫌いで、怖がっているやつだよ」
「うそ、そいつは、この星にはいないはずよ」

彼女は、ようやく、その動物を思いついたらしい。だが、良くあるパターンで、その現実から逃げている様に見えた。こういう時は、仲間意識を持たせるに限る。
「いや、いるんだ。俺だって、この前まで、そいつの前では、恐怖で体が固まるぐらいだったんだ。ミミちゃんの怖がる気持ちが良く分かるよ」

「でしょ。思い出してもゾッとするわ。巨大な目の瞳孔が開いたり閉じたりするのよ」
「そう、そう、けっこう目が大きいもんな」
「それに、あの牙、あの爪よ。凶暴すぎるわよ」
「だよな。俺の体にも、その爪でやられた痕が残っているんだ」

俺は、小さい時に、ネコに引っかかれたことがある。不用意にネコに手を出した俺が悪かったが、その時、手の甲がザックリと切れ、今でもその痕がうっすらと残っている。思えば、あれ以来、ネコ嫌いになったんだ。だが、そんなことより、彼女にうちのネコが今、どうなっているか聞かなければならない。
『うそ、この星にはいないはずなのに・・・』と、恐怖の現実から逃げようとして独り言を言っている彼女に、聞くべき本来の質問をした。「ところでで、ミミちゃん、最近、そいつに会っているはずだ。そいつをどうした?」

彼女は、忌々しそうに声を出した。
「会ったわよ!でも、殺すわけにはいかないでしょ。暗黒宇宙に閉じ込めたわよ!」

・・・ズバリだった。俺の考えは恐ろしい程に当たっていた。ミミちゃん(彼女の方)は以前のおれ以上のネコ嫌いで、ミミちゃん(ネコの方)は暗黒宇宙に閉じ込められていた。

だが、これ以上、この件で、彼女を刺激するのは得策ではないと判断し、さらに質問をするのは避けた。それに、彼女はカワイイし、そんなに悪くも見えないので、用事が済めば、ネコを返してくれると思えた。だから、暗黒宇宙で、寂しげにしているミミちゃん(ネコの方)を思い浮かべながらも、黙ることにした。

彼女は、冷たいタオルを俺の額に乗せ、また、俺の手を握りながら、話し始めた。
「ねぇ、そんなことより、私の話、分かった?明日の夜まで、何とかがんばって欲しいの」

ギグ!そう言えば、冗談を思い付いたり、うちのネコのことを考えたりして彼女の話を聞いていなかった。だが、そんなことは言えない。「も、もちろん、分かったよ。『元』は元気の気だろ?」
俺は、そう言った瞬間、あ!と思った。さっき、冗談で思った言葉が出てしまったのだ。

直後、彼女の表情が変わってくる。怒りで髪を逆立てながら、一気に言葉をまくし立てる。
「『気』は元気の元でしょ!そこはどうでもいいのよ!それより、さっきから『気』をあげる方法をそれとなく話しているのに!人の話をまともに聞かないこの天然ボケ!・・・・ハア!ハア!ハア!・・・・そうよ!そうなのよ!『気』をあげるためには、あなたとセックスをするしかないのよ!」
肩で息をしながら勢いよく言葉を吐き出した彼女は、途端に顔を真っ赤にする。
俺の頭の中は、彼女のその言葉で真っ白になる。
『そうでがなぁ、セックスでしゃろ。あれは、良い音が出るやさかいなぁ』『あんた、そりゃ、サックスでんがな』『そんなこと分かっておま。ほんまは足に履くもん・・・』『そりゃ、ソックス!』『ほなら、食べたらうまいやつ』『・・・・・・・?』『ヒント、冷たい』『それって・・・アイスをミックス・・・で?』『あたり!』てな具合で、パニックになった頭の中では、でたらめな関西弁で漫才をし始めていた。

俺は、彼女に確かめざるを得なかった。
「せ、せ、セックスって、男と女が二人でやるやつかぁ?」
彼女が顔を赤らめたまま頷く。
「お、お、男の凸を、お、お、女の凹に入れるってやつ?」
また、彼女は頷く。

間違えなかったのだ!正真正銘のセックスなのだ!うそ掛け値なしの男(俺)と女(宇宙人の彼女)でやるセックスなのだ!それがもうすぐできるのだ!
20年、生きていて良かった。それに、治療方法がセックスだなんて、何てステキな病気に掛かったんだろう。だが、その瞬間、俺はふっと思った。それは、明日の満月の夜まで生きていればできることなのだ。

俺は、彼女の顔を見て声を出した。「ねぇ、ミミちゃん、今、ちょっとだけ、それ、練習してみない?」
平静さを取り戻していた彼女は冷たく言い放った。「ねぇ、あなた、一遍、死んでみる?」
その時だった。突然、見ているものがグルグルと回りだした。
“どうした?どうした?どうなっちゃった!?”
さらに、電池が切れたみたいに、急に体が動けなくなった。

体から力が抜ける。彼女の手を握れなくなる。
目を開けているのに辺りがどんどん暗くなる。音がこもってくる。
彼女の声が、遥か遠くで聞こえる。
「どうしたの!?・・・うそ、うそ!だめよ!死んじゃだめ!絶対だめだから!・・・・達也さん!達也さん!だめだから!・・・・だめ・・・

彼女が俺を名前で呼んでくれた。それがうれしかった。そして、もう、微かにしか聞こえなくなった彼女の声の中、意識が薄れていった。

俺・・・死んじゃう・・の?・・・・

(後編に続く)


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